1/7,8は極寒の東北の海での年始の初潜り、もはや禊😆(ダイビング)を予定していたのに急遽、茨城へ。
なぜかって?呼び方がクライマックスになったから。誰が呼んだって?ゴロピカドンの武甕槌さま‥
昨年9月ごろから呼んでいたのですよ。
でも、茨城って近いようで遠い ʅ(◞‿◟)ʃ
沖縄には年に2回も行くのに俺のところは来てくれないわけ?
と言わんばかりの呼び方をされてもですね、行きやすさというものがありますがな!
そうだ!同じご祭神の宮城県の一宮「塩竈神社」に参拝したら良いよね?と3度ほど参拝。
これでご勘弁を!!と言っても呼び方がおさまるどころかエスカレートΣ(‘◉⌓◉’)
これはご祭神ではなく、鹿島神宮の土地に行かないといけないんだなぁと思いつつも、沖縄や伊勢だの伊豆だの行っていたら
雷の神様だけあって目に触れるもの全てに訴えてきたので、とうとうダイビングをやめて鹿島神宮へ。
道中の大洗磯前神社と笠間稲荷へも参拝。
この2社を回っている間にもすごく呼びまくるゴロピカドンの鹿島神宮。
明日、メインで1日とってますから、どうぞお鎮まりを。
壱岐、出雲、伊勢、伊豆、そしてまたしても「い」の茨城。想定外🤣
行く直前にネットニュースで会津の磐梯山の火山性地震が連日すごい回数、観測されていることを知る。
私が住んでいる仙台と鹿島神宮の間。
あっ、これは地震鎮めで呼ばれているんだなとわかったので急遽、行くことにしたのでした。
そして、行く直前に鹿島神宮には要石といって地震を鎮めている石があることを知る。
行ってみると大洗磯崎神社にも同じく、これが要になっている!とわかる石があった。
私が行ったところでどうなるのか、効果の有無は私自身には不明。
(東日本大震災の時には東北にいる必要があったので今世、東北に生まれたのだと言われたことが数回ありますが、真偽はいかに??)
神社というのは鳥居と社殿と森林を全てとり払ってしまったら残るものは岩。つまり、磐座がエネルギーの源。
それを色濃く、表しているのが沖縄の御嶽(うたき)だと思う。自然崇拝、アミニズムの原形。
寺社仏閣というのはこうやって先人がエネルギーの源となるようなところを見つけ、祀ったもの。
目には見えない磁場や放出されるエネルギーで自然のバランスをとっているのだと要になる岩やご神体と言われる山などを見ているとよくわかる。
その放出されるエネルギーに畏怖の念を持った人間が神として祀って、世界中にさまざまな信仰ができたのだと思う。
月の神といっても、仏教、神道、ケルト神話、ギリシャ神話などでいろいろな形や名前が与えられているけどエネルギーとしては同じものを指しているのではないかと思うのです。
今、神社は「お願い」だけする人の欲望で穢れている場合が多い。
もともとは自然エネルギーの溢れる神の土地に人間と動物が住み、必要とする分だけを得て生活していた。
そして、我々人間は神=自然エネルギーに畏敬と崇拝の念を持って接していたのだと思う。だから、住まわせていただいている。守っていただいているという謙虚さがあったのではないか。
それが今は自然を破壊し、侵す一方で、なにか災害や不幸が起きたときだけ神を思い出して、神頼みをしたり、自然災害を神のせいにしたりする
今後、毎年、未曾有の自然災害、特に地震、火山、山火事、水害が増えていくと思う。
今一度、基本はどうだったのか振り返り、もともとの自然と人間と動物の共存というあり方に戻らなければすべてを失うことになってしまうのではないかと思った旅なのでありました。
大洗磯前神社の御神水は普段はそんなに勢いよく出ていないとのこと。
ところが、東日本大震災で一帯が断水になってしまった時、不思議とその時だけ、その御神水はいつになくたくさん湧いて、一帯の住民が大いに助かったとのこと。
常に我々に与え続けてくれている自然=神にどう接していくのか、一刻も早く回復と破壊の防止が待たれている地球環境がある
🌟おまけのお話🌟
年末、ダイビングの休憩中に偶然、訪れた大瀬神社の縁起もまた地震関連。
ご祭神は引手力命さま
創建時期は、白鳳13年(684年)。発生した大地震に伴って海底が突然三百丈余も隆起して「琵琶島(びわじま)」と呼ばれる島が出現したため、同時期の地震で多くの土地が海没した土佐国から神が土地を引いてきたのだ、と考えた人々が引手力命を祀ったのが最初。