物騒なタイトルだが私のブログをお読みいただいている方の中に往々にしてコトバがぶっ刺さって🔪「あれは私のことを書いたのでしょうか?」と聞く方がいらっしゃる😅
またはなにも言わず傷つき、勝手に落ち込み反省していたと後から聞くこともある😅
私のブログはセッションと同じで降りてくるのだ。
今、書きなさい!これを言いなさい!が盛りだくさん。
2024年後半からは加速してきた。
毎日言いたいことが降り積もるご様子。
そして私もこれまでの経験やセッションを通してまたはカフェやレストランで周囲の人の会話を聞いていてブログのメッセージに当てはまる人は多くいるのだなと思う。だからこそお心にストレートにぶっ刺さるのだと思う🦈🗡️
ところで私は異常に耳が良い。聖徳太子のように音楽も複数のテーブルの会話も神の声もぜんぶ同時に聞こえちゃうのだ🤣
子供の頃からなので疲れないけれどカフェやレストランで、または音楽を聴きながら勉強や仕事などということができないタイプ。
そして人と一緒に寝れない。ただでさえ赤ちゃんの時からお昼寝が苦手であまり眠らない人なので人と一緒は一睡もしないということも少なくない。
そうであってもとっても元気で、そのまま3日くらい経つと目の下にクマが貼り「高波動ゾンビ👻」になる。(リトリートではゾンビに会える確率大😆)
話は逸れたが、突き刺さる言葉や態度は「図星」だからであろう。
同じ言葉を聞いても反応は人それぞれで、過剰に反応してしまうのは自分に当てはまる要素があるからだ。
ウザイという言葉を聞いたら自分が言われているようで辛くなる人
差別のことを見聞きしたらいたたまれなくなる人
幼児虐待の話を聞いたらまるで自分がその目に遭ったような感覚に陥る人
今生、過去生ともに自分に引っ掛かるキーワードは誰にでもあるはずでその時にまさに気にしていることならドンピシャで深く突き刺さる。
その時にそれで終わらせないことが大切でなぜそのワードが刺さったのか「内観」を始めることだ。
気になる言葉は自分が指摘されているからという意味では自分が怒ってしまうシチュエーションというのは往々にして自分が人に対してやってしまっていることも示している。
そんな自分が嫌いだから相手がやると途端にカッと腹が立つというカラクリだ。
突き刺さる言葉は自分の言動への点検に使える。
ちなみに私は「ISAちゃんは怖い」と言われると多少凹む🤣
が、神々から「あなたの仕事なのだから落ち込むな。気づきを得るための刺激になっているのだ。人によってはずいぶん後から気づくこともあるのだから伝えることだけ淡々と」と慰められる。
「怖い」という言葉もきっと自分が指摘されたくないところを指摘されたり、隠しておきたいところに触れられることへの恐れと防御なのだと思う。
私を通して神様やお相手のご先祖さま、ハイヤーセルフがおっしゃることなので私が怖いわけではなく私が知り得ないことを言っているのだからセッションを受けるにあたってはすべてをオープンに受けていただかないと時間もお金もかけるエネルギーもすべてがもったいないことになる。
逆に「反省グセ」のある人はすべて自分のせいだと考えがちだ。それは根底に「人に迷惑をかけてはいけない」という教えを過剰に守り「自分は人に迷惑をかけてしまう申し訳ない存在」という思い込みがどこかにある人である。
それは生い立ちや育ってきた環境から後天的に得る思い込みだ。
内観と反省は違うのである。自分を責めるのではなく冷静に客観視して可能性を広げる方に視点を向けよう。