与那国島に行くなんて思いもしなかった。
思ったこともなかった。というのは例により後から嘘だったと知った😅
私たちの潜在意識というのは強烈。
ふと目にして印象に残ったことは意識の上ではすっかり忘れていても深層心理には刻まれて潜在意識に蓄積され実現に向けてそこからもう動き始めているのだと思う。
昨年のフィジー留学も子供のころ、たびたび目にしていた世界ふしぎ発見の視聴者プレゼントが元々のきっかけだったのだと後からわかった。
参考:南太平洋の楽園🐠🌺フィジーへ🇫🇯
さて、与那国島は私はこれまで意識したことがなかった。ドクターコトーも見たことがないし😅
昨年末、また1ヶ月間、沖縄に行けというご指示が神様から降りた。
また?またですかい?今度はいつからどこへ?という問いに鈍い反応。
もう行かなくて良いのかと思ったころ、単身赴任の夫が帰省してひとこと「俺は与那国島に行きたい!」と言い放ったのだ。
長期勤続で会社から旅行券と休暇をもらうのだという。そこで彼は与那国島の海底遺跡に潜りたい!と言うのだ。
えぇー?与那国島?海底遺跡?それってムー大陸とかでまたフィジーと繋がるのねー!?とぼんやり思ったが冬の与那国島というのはダイビングのスキル制限があり難しいと聞いていたから不安になった。
が、結果、すごいことが起きた。
結論。
海底遺跡には海流の影響で行けなかった😱意味ないじゃーんとちょっと思った。
初日、宮古島から与那国島に着いたのは夕方17時ころ。
2月だけど南国の17時はまったく明るい。
着いて散歩に出た。ナンタ浜という浜辺を歩いて目の前にそびえ立つ断崖の山に魅了された。
ティンダハナタという山。
圧倒的な存在感に一目惚れ⛰️
ふと視線を落とすと目の前に御嶽があった。
島に来させていただいたご挨拶とお礼をする。
それから毎日、滞在中はナンタ浜へこのティンダハナタを見に行った。
冬の与那国島のダイビングは海底遺跡よりもハンマーヘッドシャーク狙いの人が圧倒的に多いということも行ってから知った。
世界中からダイバーが押し寄せ、宿や居酒屋はどこも満杯🈵
初日の夜はディナー難民になり宿泊先のテラスで満点の星空を見ながらオリオンビールとカップラーメンになった。
なんにもない島のようでいて、集落ごとに2、3件の商店があり朝早くから結構、遅くまで開いていて便利。
だけど離島価格なのでなんでも本土の2倍。
ママレモンやチャーミーグリーンというレトロな洗剤にもお目にかかれて少々興奮した。
2日目の夜は私の食のセンサーが反応したけど満杯で入れなかった「女酋長」という居酒屋へ。
すごい名前だねーなんて言っていた。女性2人で切り盛りするお店。とっても美味しくて大満足だった。
そしてこの居酒屋は御嶽から横にまっすぐの道路にあるのであった。
我々は2泊3日なのでダイビングは1日だけ。
世界中から来るダイバーたちは4〜10日間滞在してハンマーヘッドを狙うらしい。
それでも見れない人は見れないという。
先に上がった人たちが船からうなだれて帰ってくる。
ハンマーヘッド狙いの時は水深20〜30Mのところにじーっと止まっていないといけない。
上下左右、周りはブルー1色の世界🟦
私たちは海底遺跡狙い!と伝えてあったのでハンマーには興味がないと思ってくださったのか、1本目はキレイなお魚を見に行こう、2本目はハナゴイの群れを、3本目でハンマーヘッドシャークを見に行こうということになった。
沖縄なのでそりゃーもうキレイ🐠
1本目でカメに会えて喜んでいるとカンカンとタンクを叩いて知らせる音。
真下にハンマーヘッドシャークが2頭泳いでいた。デカい!
悠然と泳いでいるがずーっと下の方であちらもハンマーの先についている目でこちらを見上げているのでいまいちお顔がわからなかった。
2本目はハナゴイの群れがとってもキレイで見惚れているとまたもやハンマーヘッドシャーク現る。
今度は1匹だった。早くてあっという間に消え去った。
3本目はハンマー狙いのツワモノたちと1隻の船に合流してディープブルーの世界へ。
青い世界をただひたすら飛んでいくような気分になる。
我々より15メートルも下でガイドはハンマーヘッドを探している。
と、私たちの真横に現れた!今度は近い。模様もお顔もハッキリ見えた。あちらも悠然とこちらを観察して体をくねらして泳いで行った。圧巻。
宿に帰ると親しくなった人は3本とも見れなかったと肩を落としていた。
そうかと思えばアメリカから来たナイスガイはやはりハンマー狙いで8日間も滞在するという。
それなのに初日にして40匹の群れを見てしまったらしく、残り7日をどうやって過ごそうかと悩んでいた😆
ダイビングショップは久部良という集落でそこもまた美しいところだった。
普通、ダイビングのお昼って船の上で食べるお弁当のイメージだが、いちいち上陸して美味しい食事をいただけて感動した。
ダイビング後は24時間、飛行機に乗れないので翌日は町営の無料バスに乗ってドクターコトーの診療所に行ったり観光した。
久部良にもまた行って日本最西端の塔を見たり、ランチとロールケーキ屋でデザートを食べた。
与那国島の食のレベルが高いことに気づき宿のオーナーに話すとやっぱりそうだと言っていた。
とっても良いところ。興味がなかったのに大好きになってまた絶対に来ようと誓う私にしては珍しいほどのお気に入りスポットになった。
でも、ここは私のおつとめの地ではなかったのね!?ただ遊んで美味しいものを食べて与那国島は良いところで終わるはずだった。
観光の途中立ち寄った売店で「与那国島異聞」という単行本になぜか惹かれて買った。
与那国から石垣島へ向こう機内と石垣島から羽田に向かう機内で読んだ。
離島で暮らすというのは現代も大変なのかもしれないが昔は本当に大変だったのだなぁと思った。
与那国島に行った理由ががわかったのは石垣島も堪能して仙台に帰宅して1週間近く経ったころ。
神様より「琉球王国の歴史と人物」という数年前に買った本を読み返しなさいと言われた。
琉球王府による八重山鎮圧で石垣島はオヤケアカハチ、それを討ったのが宮古島の中曽根豊見親(今回、何度もお墓の前を通らされ名前を叩き込まれた😅)、制圧の際にわざわざ久米島に寄って君南風ノロを船に乗せて行ったという。
これが昨年、興味がないと思いながら行った久米島の奇跡につながる
(参照:琉球 片道切符旅④⑤久米島へ 琉球 片道切符旅⑥ 久米島Day2 琉球 片道切符旅⑦ 久米島Day3 )
与那国島については当時、女酋長サンアイイソバが統治していたと一行だけ。
サンアイイソバ!!そうだ!この人だ!サンアイてガジュマルの木のことを島の言葉でサンアイって言うんだよ。って自分の中で思った。
買った本に書いてあったのかはたまた聞いたがあるのか?
ググったらサンアイイソバについて私は3年以上前にすでに知っていたのだった。読んだことある!でも与那国島だなんて知らなかったぁー
ていうか忘れていたんだ。
そして、圧倒されて一目惚れした山 ティンダハナタはサンアイイソバの居城であった。
拝んだ御嶽は彼女の城(グスク)を遥拝する御嶽。
また来たい!と願ったステキな女性2人が切り盛りする居酒屋「女酋長」はサンアイイソバへの敬意を込めた店名だった。
ダイビングショップの周りの宿がいっぱいでたまたま予約したお宿がナンタ浜のそばだった。
もし、ショップの近くに宿泊していたらティンダハナタは見なかったし、サンアイイアソバに繋がらなかったと思う。
与那国空港でサァタアンダギー(与那国島ではサッターアンダギー)を買った。
売店のおばちゃんが何気なくこのお菓子屋さん知ってる?と聞いてきた。
なんと居酒屋 女酋長の隣のケーキ屋さんのもので切り盛りしていた女性の一人が店主であった。
つながるご縁。それは現世だけではく、過去世からのつながりも常にシンクロして起きているのだと思う。
まさにパラレルワールド。
自分は首里城のノロだった時代に王国の発展を願って八重山統治を祈願していたのかもしれない。
その中で繰り返し聞いていたのは王族にとっては制圧すべき彼らの名前だったのかもしれない。