私は人の生活を見るのが好きだ。
日本全国あちこち行くが、新幹線で大宮とか上野あたりのマンションの住人の生活を垣間見るのも楽しい。
新幹線はすごいスピードで通り過ぎるものと思っているのか、都会の人はカーテンをしない人が多い気がする。
ランニング(懐かしい響き笑 今や死語)にステテコ姿のお父さんが新聞を読んでいたり、お姉さんが元気いっぱいにエクササイズしていたり😊
東北の漁村でのダイビングでは開け放たれた窓からリビングに張り巡らせられたご先祖さまたちの写真の数々がズラーッと海の方を向いて並んでいたり。
沖縄の離島では昼間は暑いからゴロゴロしているおじいたちも朝は早くから畑へ。夕方は釣りに行ってその日の食料を調達してきたり。
見ていて微笑ましいし、みんなそれぞれの場所でちゃんと暮らしているんだなぁと安心する。
「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子著)という本がベストセラーになったが生まれついた場所で一生終える人もいれば外の世界に出ていってその地で生涯を終える人もいる。
人はそれぞれ居着いた場所で精一杯、その生を全うするんだなぁとしみじみと思う。
「良い悪いはない。すべて良いしすベて愛おしい」と神さまは言う。
置かれた場所で楽しみを見つけ人生を充実させ、幸せという感情を熟成させることが一番の自分への奉仕奉公なのだと思う。
その人の特性、好みに合った幸せな人生を一人一人が送れたら。
そのうえで、抱いた望みは我慢なく実現することができたら。
みんなの満足度が上がり、他人にも優しくなれて世界は温かい場所になる。
自分が充実していないと人と比べて不足や不満を感じやすくなる。
そこから妬みや僻みが出てきて争いが起きてくる。
やはり自分の心を幸せと楽しみで満たしてあげることが最優先なんだなぁと各地で懸命に生きる人々の暮らしを見て思うのである。
海外の人とやりとりしていると(特にアフリカ、中近東、アジア)彼らは日々の生活に必死だったりする。
政治がある日、突然に変わって経済状態がみるみる悪くなり今までと同じ仕事をしていても生活が苦しくなる。
彼らの祖国への愛情と誇りは非常に強い。にも関わらず「より良い生活を求めて」故郷を離れざるを得なくなる。
彼らの言葉に共通するのがこの「より良い生活を求める」という言葉。日本人が言うのとは切実さが違うんだろうなと思う。
それでも彼らはポジティブで苦しい中にも楽しみを見つけて常に明るくて優しい。
海外に活路を見出して移住を考える人も多い。
彼らは常に「絶対に自分の生活は良くなるはず!」という信念とそれぞれの神への信仰心を強く抱いて希望を忘れずに生活している。
そして、恵まれている環境の私にも妬みや僻みの感情は少しもなく、とても優しく、でも物事はハッキリというし、彼らから学ぶことは多い。
この前、アフリカの人から言われた言葉で印象に残ったのは
「人生は何が起こるかわからない。だから怖がるのではなく、常に最善が起きると信じていることが大切!」
私も日々、あなたに起きることは常に最善です!とセッションで話しているけれど他国の苦しい環境にいる人からの言葉は特に重いし、私への学びのために神様が遣わしてくれたんだなとありがたい🙏✨
みんな完璧でみんな最善。