「日本人は親戚に同じ名前の人が何人もいる?」
という質問からその話は始まった。当然いないと答えるとフィジーでは同名異人(name sake)が親戚中にたくさんいるとのこと。
同じ名前の人が親戚にウヨウヨ??それってややこしいだけじゃん!と我々は笑った。
ここから思いがけない話に展開するとは思いもしなかった。
日本人は名前に願いを込めるのでそれぞれ違う名前になることを説明。
そこまでの話ではフィジー人の子供の名付けに特別の意図があるようには思えなかった。
ただ一番初めの子供には父方の親戚が名付けるという決まりがあるとか、親戚と同じ名前がつくということなど。
へぇーっと聞いていたが…
「たとえば、親戚で誰かが海で溺れるとその後に生まれた子供の名前には○○(親戚の誰かと同名)+【海で溺れた】○○(名字)になる」
という。
驚愕😵なんですって?海で溺れたって入るの?縁起が悪いわー!と我々。
すると「誰かがその名前を聞いた時、「どうしてそんな名前なの?誰か海で溺れたの?」と聞くでしょ?するとその人は一族の誰かが海で亡くなったことを話す。
つまり自分の一族の歴史が名前に刻まれるんだよ。だから亡くなった人の名前が残ることで一族の中で永遠に生きられるのと、一族に起きたできごとまでも語り継げるんだよ。」と。
すごい!!衝撃!!一転して「それは良いことだね💓」と目頭が熱くなる私。
亡くなった先祖を忘れない、そして、肉体はなくなっても名前を通して永遠に一族の中で生き続けられるというステキな話になったのでした。
昨日は秋分の日。
お彼岸でお墓参りに行く人も多いと思う。
お墓参りに行かなくてはならないから行くという義務感で行っている人も多いのではないかと思う。
でも、大切なのは感謝の心。私たちは辿れば何万人のご先祖の先頭に立って今を生きているのだ。
常に感謝を忘れずに亡くなった先祖と共に生きるというフィジー人の名付けの意味を忘れずに私もご先祖様に感謝して生きたい。