私はモノが捨てられない女だ とたびたびブログにも書いている。
3年前から「引っ越すつもりで片付けなさい」というご神託が降り注ぎ、それでもやらずに沖縄のユタ友から
「いさちゃーん、また神様のいうこと聞いてないんだって!?なんでよ、早くやらないと太るさー
物のエネルギーの滞りが「肉」になるわけよ。つまりはさ、エネルギーの滞りは体に現れるわけ!!」と電話が来たこともあった。
(神さまは私が言うことを聞かない時、他の能力者に訴える笑 言いつけるともいう😆)
ご忠告もいただいたのにグズグズしていたら今年の3月にトルコに行くことになり、リュックの重さを測るのに2年ぶりに体重計に乗って驚愕!!
15キロ増🦣 体重計が壊れているのだと思って3回測ったがやはり15キロ増の事実を突きつけられただけだった😆
一念発起??
売れるものは売りさばき、その他、3袋分の洋服を資源回収に出した。
そして、筋トレに励んで1ヶ月😅
まぁそれは良いとして、物を捨てられないのは記憶力および思い入れの強さ、すなわち執着が生み出すのだと改めて思った。
私の異常な記憶力を持ってしたら「これはあの時あそこで買った」「これはあの人からもらった」とその時の情景や空気感までも詳細に思い出す品々。愛着がないものは捨てられるも、大体のものは「お気に入り」なのだと気づいた次第。
部屋の中を見回しても「お気に入りばかり」
ものは少なくしていこう、あまり増やさないようにとは思っている。
が、「お気に入りに囲まれて生活する」ということはとても大切で良いことなのだ。
「どうでもいいもの」がないというのは高波動を保つコツである✨
人間関係においても、物質的な身の回りのものにしても
「私の周りには何ひとつどうでもいいものは存在せず、すべてがお気に入りです」
と言える人生を歩んだ方が充実度は絶対に高い。
生き物だけでなく、この世に存在する物はすべて波動を放っている。
私は幼い頃から母からそんなふうに育てられた。
そんな置き方したらバッグさんが泣いてるよ、とかタオルさんが痛いって嫌がってるよとか。
もともと感受性が強かった上にそんなふうに育てられたものだからモノも捨てられなくなったのではないかと推察。
そして、同時に物の波動を感じ取る能力も身についたように思う。
かつて、役員秘書をしていた時、みんなから敬遠されている役員がいた。
いつもクールで澄ましていて冗談も言わず、みんなと溶け込もうとしない人だったからだが、私はその人の役員室が一番印象に残っている。
満ちている「氣」が清らかで優しいのだ。
ある日、彼は飲みすぎたのかソルマックのおまけについていたキティちゃんのキーホルダーをくれた。
「君もいらないかもしれないけど、俺、顔がついてるもの、捨てられないんだよー」と。
あぁこの人はやっぱり本当は優しい人なのだと思ってますます好きになった。
男女とも彼を敬遠している人は多かったが私は彼が好きだったし彼からもとても良くしていただいた。
彼にいただいた品々は今も我が家にある。
自分の身の回りにあるものが高波動を放てばおのずと家の中の「氣」はよくなり、自分の味方になってくれる。
そこに植木やペットなど生き物が住めば相乗効果で家の中の波動が整う。
うちにはさらに家中を高波動に整える整水器「風之奏音」がついているため家の敷地内すべてが整っている。
庭師さんが来るたびに感嘆する。(風之奏音について:ミラクル水でパワースポット化🌈 )
私は肥料も手入れもろくにしていないのだが、植物の生育と元気の良さが他のお家の庭よりもすごいそうだ🌟
「このお庭ではみんなイキイキ輝いで喜んでますねー」と庭師さんは言う。
物を大切にすればそれは波動でこちらにもしっかり応えてくれるのだ。
「執着」ではなく「愛着」をもっていることが快適に暮らすポイントだと思う🌿
そして、物を減らすコツもまた「愛着があるか否か」で決めればスムーズだと思う。
愛着があっても今後、使う予定のないものは売って他の誰かにかわいがってもらうか、感謝を込めてさようならをすればいい。
生まれる時も死ぬ時も人は裸一貫でなにも持っていくことはできないけれど、肉体を持ってこの世を生きている束の間の時間を共にする相棒たちは絶対に愛着があるものに囲まれていた方がいい⭐️