時間とお金とエネルギー🍀
この3つは相関関係にあり、人間生活で最も大切にしなければならないものだ。
時間=肉体の時間。ほんのひとときの人生
お金=自分も他者も幸福にできるもの
エネルギー=生命の源でありお金と同じく自分も他者も幸福にできるもの
うまくいっている人=自分を大切にする人は
時間を大切にしており使い方が上手☘️
お金の適正な使い方も知っている😊
活力にあふれていてエネルギーを放っている✨
逆にこの3つのうち1つでも欠けるとバランスが崩れる⛈️⚡️
そこにはやはり「固定観念」「価値観」がつきまとう。
人付き合いは良くしないといけない。
誰とでもうまくつきあわないといけない。
家事は完璧にやらないといけない。専業主婦なのに手抜きをするのは悪だ。
今、流行っているYouTubeやドラマを見ないと周囲の話題についていけなくなる。
SNSをチェックして良いと思わなくても知り合いの投稿に「いいね」を押さないと嫌な人だと思われる。
いつも協力的な人間だと思われたいので、誘いや協力を断ってはいけない。
人を応援するのは良いことだと思うので「応援したいな」とほんの少しでも思ったら援助をしなければならない。
いつも他人を優先にすることが「利他」であり、それが自分の喜びにつながる。
人には寄り添わなければならない。運が悪いと嘆く人には一緒にどうしたら良いか考えてあげなければならない。
これらはすべてルール(判断基準)で自分を縛っている「とらわれ」だ。
自分の内奥から湧いた感情に従っているのではない。
すべて「人からどう思われるか?」が判断基準になっているのだ。
これらを続けていたら「時間」はなくなる。
「時間」がなくなれば「エネルギー」が奪われる、「時間」と「エネルギー」がないところに「お金」は来ない💸
こういうふうにできている🌀
お金の使い方が根本的におかしいのに気づいていない人もたくさんいる。
逆に「節約」をがんばればお金が増えると思っている勘違いの人もたくさんいる。
使い方はそれぞれの自由だと思うがそれじゃなくなる、それじゃあ絶対に貯まらないし増えない。
と趣味でファイナンシャルプランナー資格をとるほど20代にお金の法則に目覚めた私は思う😅
私はセッションの中で「クリアな自分を創る」という言葉をよく言う。
それは素直で明るく悪意や後ろめたさもなく、愛にあふれている状態をいう。
そういう状態に神仏からの応援が降り注ぐ。
万人に応援は四六時中降り注いでいるのであるが、クリアな状態じゃない人はそれをうまく受け取れない。
気のせいだと思う、受け取っても疑う、自分で解釈を曲げて従わない、
こういう人は現実生活においても同じことをしている。
狭い範囲の世界にとらわれて、そこにいることが安全だと思い込む。
その輪から抜けないためにチャンスが来ても
⭐️気づかないフリをする(そうは言っても自分とは別世界、あの人だから成功している、自分とは違う、自分には理解できないと思う)
⭐️自分が今いる状況が一番で他の世界があることもまた他の世界の良さも疑う(海外は危険、国内はどこも同じ、本を読んでも頭に入らない)
⭐️できない理由を見つけてそれを大義名分に自分を変えない選択をする(お金がない、忙しい、タイミングじゃない、またいつか機会があったら)
自分の「枠」を勝手に決めて新しいことには尻込みし、「今の状態が一番」と思い込もうとする。
それは自分自身の可能性を自分で閉ざしていることだ。
自分には無限の可能性がある、いかようにもなれる!という信念があれば上記のような選択はしない。
清貧でつつましくいなければならない。
それが悟りへの道
という思い込みも広く浸透している。ある意味それは真実ではある。
人は身一つで生まれてやはり身一つでこの世を去るのだから必要最低限の持ち物でシンプルに暮らす。
それに加えて大切なのは「思考」もシンプルにすること。エゴやジャッジを手放すこと。
余計なものはあまり持たずにシンプルに暮らすことは「自分は必要なものはちゃんと持っている」という内面の充実につながり、「満たされる感覚」を身につけるのにたくさん所有することよりもより効果があると思う。
それはシンプルな思考を作るためにも有効である。
そのうえで、自分のお気に入りに囲まれて暮らす というのが「お守り」に囲まれて暮らしているような安心感も得られる。
「暮らし」を充実させることは「内面」の充実につながる。
「外側」に求め続けていると「時間」「エネルギー」が削られ、結果「お金」の巡りも悪くなる。
これは「肉体」の循環と似ている。
栄養素が欠けたり偏ると血や水や気(エネルギー)の巡りが悪くなる。
感情面に乱れがくる(焦燥感、イライラ、悲観など)
肉体面に乱れがくる(むくみ、痛み、かゆみ、皮膚の乱れ、しわなど)
活力が湧かない(顔色、肌感が悪い、無力感、疲労感、やる気の欠如など)
ルールに縛られず自分の体がその時々で必要なものをバランスよく摂ることができたらこれらは相互に作用し健康的でエネルギーに満ちたサイクルが作られる。
気分転換の運動が感情面を整え、肉体面を内側から改善し、結果、活力が生まれる。
肉体を健康に保つことはすべての生物を生み出した創造主=神への義務でもある。
すべて神から授かったものと思えば整えて大切にするというのはやるべきことなのだ。
これは「時間」❎「お金」❎「エネルギー」が整う土台になる。
肉体も精神も整わない原因が「とらわれ」だ。
エネルギーが枯渇しているのに「こうしなければならない」という縛りが働くとそれができない時には自己嫌悪や自己否定につながる。
エネルギーが枯渇しているなら手を抜いていい。
食事はバランスよく という固定観念や価値観に縛られるとどんなに疲れていても自分で作らねばならないと思い込む。
ありがたいことにコンビニや24Hスーパーが連立していて、オンラインでワンクリックでものが届く日本に暮らしているのだ、自分を甘やかす機会を持つことも「許可」につながる。
運動はしなければならない と思えばそれは苦行になって続かない。
「ねばならない」は自分をがんじがらめにする。
そのルールは誰が作ったのか?
幼少期から今に至るまで周りの環境から受ける情報。
親から、先生から、友達から聞いた情報の積み重ねがあなたの価値観や固定観念を作り上げる。
でも、あなたはもう大人なのだ。
染みついたルールを頑なに守らなくてもいいし、自分の良いようにカスタマイズすることも可能だ。
良いと思うことはやったらいい。ただ、それに縛られるのはやめた方がいい。
価値基準は常に自分の内奥からの答えに従う。
でも他者には誠実に接する。自由と誠実のバランスが大切だ。
『いつでもどこでもどんな状況でも「自分」を保ち「自分」でいられるようになること』
それには強さも必要である。
あまりにもルールに縛られる日常が続くとイレギュラーな事態やイレギュラーな環境下においては脆い。
時間は一番大切なものである。
私たちの人生はあっという間だ🕯️
それをどう使うのか?
お金は自分を充実させ他人をも充実に導ける手段である。
エネルギーもあればあるだけ行動ができる。それは他者へ影響を与える。
私はこれで十分。そんなにたくさんあったら困るという「言葉」を発する人が多くいるがそれは「今の自分で十分」という制限と同じだ。
一見、満たされている良い言葉に聞こえるが、それは向上心がないとも言えるし、自分さえよければ良いともとれる言葉だ。
自分のことだけではなく他者にも分け与えることができるという観点で考えればお金もエネルギーも無限にあっていいのである。
受け取って良いと自分に許可すること。
は「多くを望むのは欲深い」という考え方をする人には苦手なことだが、他者のためになるという考えに転換すればそういう真面目な人は受け取りやすくなる。
何にでも「制限」をかける癖を手放そう。
その癖は自分の可能性を狭めていく。
すべてこの世は循環なのだ。
血液も水も時間もお金も循環し、エネルギーとなってこの世界を取り巻いている。
因果応報なのである🌎