自己中心
自分ファースト
と聞いてどんな印象を受けますか?
わがまま。自分勝手、エゴの塊、他人のことはないがしろ、常に自分が一番…
それはいけないことだと小さい頃から教えられてきましたね。
確かに悪い印象…🧐
では、
神なる自己を中心に置くこと
神なる自己であることを優先にすること
と置き換えたらどうでしょう?
私たち一人一人の中には必ず誰にも「神性」(神なる性質)「仏性」(仏の性質)があります。
一見、意地悪で悪人のような人でも中身の魂の部分ではクリアで無垢な性質があるのです。
生まれてからの環境や人間関係により後天的に身についたもの、過去生におけるカルマなどによりその人の「表層」のパーソナリティが形作られます。
が、最奥の魂の部分には神なる性質が備わっているのです。
「自分が思っている自分」は人とつきあう上での表面上の自分かもしれない。
本当の最奥の自分に常につながるということが「神意識」で生きるということです。
「神ならどうするか?」=「愛ならどうするか?」
「利他」他人の利益になることを率先して行う。
素晴らしい教えです。
神なる自分を差し置いて、自己を顧みることなく常に他人に意識を向けることではなく「神性」を顕現して他人に自分を差し出すこと。
これが本当の利他だと思います。
人それぞれ違った特性や性質があります。
どの人も素晴らしい。
そのままの自分を素直に差し出すことができたらそれだけで十分な利他になるでしょう。
そのうえでその時々に必要と内奥から思えることを自己の肉体を通じて行動に移すことで本当に深い利他が生まれるでしょう。
思っているだけでは「偽善」、行動してこそ「善」という言葉を今朝、ちょうど目にしました。
私たちの肉体は魂から湧いた意識を肉体に上らせ、行動に移して現実化するためにあります。
人間関係において最も重要なことは「信頼」と「誠実さ」です。
人に対して誠実じゃない人は自分に対しても誠実じゃないのです。
それはちょっとした態度や行いに出てきます。
表面上の態度や行いの裏にある人に対する不誠実さや傲慢さというのは波動で必ず伝わります。
その人は自分に対しても不誠実であったり、信頼が欠けていることが多いのです。
その場合は他人への依存に傾くでしょう。
でも、その人の出す波動が人間関係も引き寄せられるので依存した相手もまた同じような相手で期待どおりにいかないことが多いでしょう。
一度、今、自分が持っている「自分の価値観や観念」を放棄すること。
そこから内奥の自分を見つめ呼び覚ますこと。
そして、その自分を認めてあげること。
その自分を表に出していくこと。
常に最奥の自分と今いる自分が一致していること。
それがその人の存在意義になり、存在しているだけで十分な貢献が果たせるようになるのです。