松下幸之助さんがある日突然、夢に現れてから彼のお導きも入るようになった。
(関連:遠慮は運を遠ざける💸🕊️ )
彼は生前、毎日なにか新しいことをする!と決めていたそうだ。
見習って私は毎日は大変なので毎月、なにか新しいことを始めることにした。
今のところ続いている。というか夢に彼が現れたのは7月だが、なぜか今年は5月から毎月新しいことをしているのだ。
「新しいことを始める」は自分の軸がしっかりしていないとどんどん興味のままに手を広げて無限ループに陥る可能性もある。
「新しいことを始める」というと習い事を連想する人も多い。
お金❌時間❌エネルギー 習い事はこの3大要素をフルに使う。
それを興味が赴くままにする人は気づかないうちにものすごく消耗していることがある。
いろんな人といろんな波動を交わし、いろんな話を聞いて、もうなにがなんだか💦💦に陥りやすい。
なにより、習い事や知識の習得というのは「誰に習うか」がもっとも大切なことなのだ。
また表層の意識、外側の情報、波動に意識が向きやすくなるので自分の内面が置き去りにもなりやすい。
楽しければいい、惰性で続ける、拠り所を求める
これでは、お金❌時間❌エネルギーをかけた割にはなにも身に付かずなにも残らないことが多い。
人生の時間は日々、目減りしていくのだ。
エネルギーとお金は枯渇しないと決めれば枯渇しないが時間だけはどうしようもない。
3大要素のうち、どれかひとつでも疎かになると全体のバランスが崩れてうまく回らないようになる。
「新しいこと」は大それたことじゃなくていい。何かを新たに習わなくてもいい。
知識を新たに詰め込むというのは理解することとは違う。
知ることと理解することはまったく別物なのだ。
早起きを始める
瞑想をする時間をとる
空を数分間眺める時間を持つ
自然を見て感謝する習慣を持つ
水をこれまでより多く摂るようにする
普段とルートを変えて歩いてみる
などそんな身近なことでいい。
そんな小さなこと?と思うようなことでも「自分を律する」うちに「習慣」として根付けば
それは無限の広がりを自分の内側に展開し、気づけばものすごく大きな変化になるのだ🍀
習い事をすれば、誰かに方法を聞けば、知識を増やせば、ISAちゃんのセッションを受ければ笑
人生が変わる!!と安易に考える人が多くいる。
私のセッションを受けたらそれはそれは大きな人生の財産になることは間違いないだろうと思うけど😆
それでも自分を変えるのは自分自身しかいないのだ。
人間というのは本来、楽をしたい生き物だから便利なものがどんどん開発されてなるべく労力を使わないで生活できる方向に発展してきた。
何かを学んでせっかく気づきを得ても、「ある程度、自分を律する」という努力がない限りは安易な道に流れたり戻ったりするものなのだ。
私もセッションをやっていてまったく手応えのない人や理解が進まない人、理解しているようで全然ちがう方向に行ってしまう人を見ていると落胆してしまうことがあったが、今はそんなことはない。
私は自分が伝えるべき御神託を淡々と伝え、気づきと変化変容はその人自身が起こすものだと理解したからだ。
それにはこんな話を聞いたせいもある。
ある聖者が側近の弟子を叱った。
何十年も仕えてきた弟子だったのだが、その日に限って弟子は我慢の限界が来たのか出て行ってしまった。
他の弟子たちが慌てて引き留めようとするも、まったく効果なくその弟子は本当に出ていってしまったのだ。
狼狽する弟子たちは聖者に「どうしましょう?本当に出て行きました」というと聖者は漫然と微笑んで
「今に気づいたらきっとまた戻ってくるだろう」と言ったという。
「それはいつですか?」「来世かもしれないしその次の来世かもな」と屈託なく笑ったという。
命は永遠であり、私たちの魂はお互いを昔から知っている。
今、気づきを得なくてもいつか必ずわかる日が来る と相手を信頼することも大切なのだ。
結果はすべて神のもの✨
神にお任せして、自分は自分がやるべきことを淡々と行うのが使命に基づいた行為なのだ。
そのうえで自分は自分の生活を律し、最大限の努力をする。
お金❌時間❌エネルギーの浪費をやめて大切に、でも最大限に自分を活かして使う。
だがそれは決して修行のように苦しいものではなく、軽やかで楽しく常に喜びに満ちたものであっていい🌸
真面目すぎるのは物事を捉える範囲が狭くなり、選択の幅も行動の幅も解釈もすべてを小さくまとめて制限してしまう。
もっと随所に遊び心を持って日常の中に喜びと楽しみをたくさん持っていいのだ😃