真我の領域が偽我を凌駕するように
自己を見つめる視点を「自分が親として我が子を見つめる」視点に変えて見ること。
「私」を「私」と思うから、自己卑下したり、他者の承認を求めたり、自信を喪失したりして本来の真我が後天的に身についた偽りのヴェールに覆われて見えてこない。
「本来の私」は神の元から来た「神の分御霊」
「私が私を所有」しているうちは本当の自己は見えない。
客観視するというのは一度、「あなたが思っている意識の上での私」から離れて観察してみること。
祝詞にも出てくるが、この宇宙創造の唯一絶対神のことを「天御祖(あめのみおや)」「御祖神(みおやがみ)」という。
生きとし生けるものすべての「天の親」
そうなると神の視点は私たち一人一人を神から産み出された「自分の子供」として見ているということになる。
ならば、私たちも自分を天からの預かり物として、自分を「自分自身の親」という立場から客観視すれば自ずと本来の自分と後から形成された偽りの自分のギャップに気づいていくはずである。
「神からの預かり物」という視点で自己を見つめたとき、自ずと自己への扱いは変わる
真我とのギャップに気づいたら、後は思考のパターンを変える、意図の方向を変える、行動に移し、習慣づけをして真我の領域を増やしていく。
なにに意識を向けてなにを意図するかで人生は大きく変わる。
人生でやるべきこと、集中すべきことは本来は少ない。
真我の領域で生きていけば、おのずと現実の表れは整い、その流れに乗るだけで良くなる。
『心が変われば行動が変わり、行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わり、人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる』(心理学者 ウィリアム・ジェイムス)
『思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それいつか運命になるから』(マザーテレサ)
この世は当たり前に日々ただ展開し、自己は自己を中心とした宇宙の真ん中にいて、起こる事象をただ眺め、体験するだけである。
だからこそ、この宇宙の中心である自己の意識をどこに向けるかは反映される自己を中心にした宇宙展開のカギとなる。
それは分かりやすく現象界の人間関係やできごとといった現れになり気づきをもたらす。
真我と偽我の乖離がなくなれば、本音と建前、表と裏というのは自ずとなくなる。
一点の曇りもなくすべてを素直に表に出せるようになる。
真我の自分を晒して生きることは燦然と輝く強さを生む。
常に真我が偽我を凌駕するように✨
「律する」
簡単にいえば、自分の怠け癖を遠ざける。
安易な方に逃げようとする自分を止めて本来の道に連れ戻す
自分にとって良いと思うことを自分にさせること、そして、継続性を持たせること
習慣づけと自己を律することは両輪である。


















