目に見えない存在が視える、聴こえるということを特別と考えて羨ましがったり、そうなりたいと望む人が多くいる。
でも人それぞれ今世の使命や役割は違い本来みなが持っている能力であっても必要なければ表出せず、今世果たすべき使命に沿った才能を表出させ余計なものは内包されたままというのは理にかなっていると思う。
あらゆる分野でさまざまな能力が咲いてこそいろいろな文化が生まれ、豊かな彩りを生み、鮮やかな多様性に満ちた世界が創られる。
そのうえでお互いの能力や個性を尊重し調和することがさらなる成長発展につながる。
それには視える聴こえるはまったく問題ではなく、真理を実感を伴って理解していることこそが大切である。
この世に存在するすべての人工物は誰かがインスピレーションを得てイメージを叶えて実在に至っている。
そのインスピレーションの源はどこなのか?
気づきはものごとを大きく進展させる。
ひとつの気づきからドミノ倒しのように気づきが連続し道が展けていく。
自分が思いもしなかった方向に発展することも多く、だから人生は面白い。
思いもしなかった方向と本人は思っていても魂は元々知っている方向であり、いずれ導かれる道だったのだ。それまでの知っていた人生はその思いもしなかったと本人が思っている人生につなかる必要な礎を築くための準備だ。
だから一つもムダはなく遠回りでもたどり着くはずの道ではあるのだが我々の肉体の時間は思いの外、少ない。
やりたいのにやれないこと、親しくなりたいのになれない人、読みたいのに読めない本、行きたいのに行けないところ
それは自分にとって不要またはまだ時機じゃないのだ。
執着している時間はない。
一旦、手放して今やるべきことをやりながら待つのが良い。
知るべき、すべきは外側の情報を集めることではなく自己の探究である。
気づきを得るためには思考を鎮め直感を研ぎ澄まし受け取れる体質を作る必要がある。
その結果、自分に必要な知るべき外側の情報も的確にスピーディーにもたらされ無駄がなくなり遠回りせずに最短で目的にたどり着くようになる。
最短でたどり着いたら余裕が生まれより多くのことができるようになる。それがより多く、大きな貢献を生む。
迷妄している時間を短縮し
頼るべきはなんなのか
欲しがるべきはなんなのか
つながるべきはなんなのか
気づき、知り、わかり、実感を伴い、行動したうえで日々を生きていくことが実現を急がれる理想の姿である。