これからは知りたいことがあったら自分で調べなさい。と小学生で辞書のひき方を習った時に言われた。
(今はどうなんだろ?)
そして、現代は知りたいことがあったら辞書をいちいち引く人はいない。
みんなネットで検索すれば辞書に書いてある以上の情報が得られる。
私の母方の祖母は良い生き方をしたと思う。
私はこの祖母の家で生まれ育った。祖母の家は祖母の三姉妹が3軒並んで住んでいたので叔母や叔父も隣にいたし、冬休みや夏休みはいとこや親戚が集まってにぎやかだった。3歳で引っ越してからは祖母は祖父の妹と暮らし、叔母が亡くなってからは一人で暮らしていた。
仙台市内なので私はしょっちゅう遊びに行っていた。
祖母はいつも同じところに座り、あまりテレビは見ず、見るならNHKで大相撲や「大草原の小さな家」、特定のクイズ番組などを見ていた。
はらたいらを思い出すからクイズダービーも見ていたし、回転する椅子も思い出したからタイムショックも見ていたと思う😆(知る人ぞ知る昭和のTV番組😆)
情報番組やバラエティは見ていなかった。そしていつ見ても違うものを食べていたが「今はこれが体が欲しい」とか、出かける時の洋服を決めるのも今日はこれが良いようだという言い方をしていた。
祖母と叔母たちは夕方4時になると天照大神の掛け軸の前に座り「天主様、今日もありがとうございました。」と毎日手を合わせていた🙏
また幼い私を寺社や神社庁に連れて行ってくれたのも祖母だ。神道の家系なのでお葬式や法事にあたるものは全て神式だった。
要するに神仏と繋がり直感と自己信頼の上で生活ができていたように思う。
前置きが長くなったが、なぜ祖母のことを思い出すようになったか?というとこの仕事をするようになってから「調べまくる人」と「直感型」の人で幸福度に違いが出てくるということがわかったからだ。
そして、最近はヴィーガン、サプリオタク、健康不安など私がまったく無縁だった人々とご縁ができてきたのだ。
(会社員時代にもそういう同僚はたくさんいたはずだが仕事以外での接点がなかったので私の生活には無縁だったのだと思う)
祖母の時代、というか私の半生も今のようにインターネットで即座に検索できる時代ではなかった。
何か知りたいと思ったら辞書をひく、図書館で本を調べる、博学の人に聞くか、知りうる時機が来るまで待つしかなかった。
私が16歳から声を聞いてきた神からは「知るべき時に知り、学ぶべき時に学ぶのだから自ら調べるな」と繰り返し言われ調べない習慣ができた。(参照:私と神さまものがたり 第1話きっかけ )
今思えば直感トレーニングと引き寄せのトレーニングをしてくれていたのだ。
ヴィーガンはあまりギューギューじゃなければ現代日本でも十分に生活を楽しめると思うし、ヴィーガンに限らずなにごとも発露はどこか?ということが大切だと思う。
(ヴィーガンになる理由に大きく2つあることも知り納得もした🐃)
サプリオタクの外国人フレンドは本当にサプリについて詳しい。加えてエビデンスオタクなのでちゃんと論文まで読んでいる😅
よって、体の不調を訴えるとすぐに摂取すべきビタミンなどを教えてくれる。
が、幸せそうか?というと全くそうじゃない。基本的な生活リズムが狂っている(熱い国の人の生活リズムかもしれない)
そして世界の権力に対して問題意識が非常に大きい。あらゆることを調べては有毒と判断した食品を口にしない。その怒りは問題を放置、助長している社会に向く。よって常に社会や未来に対する憤りが非常に強い。
自分自身の人生や幸福についてはおろそかになっているように見える。サプリについての膨大な知識もそこに起因している。
そしてお客さんでは同じような人が1週間のうちにおふたりいた。
一人は10年以上、数種類の服薬。もう一人は持病があり健康維持のためにサプリメントや高い水を取り寄せて飲んでいたという。
お二人とも食物アレルギーあり。
過去に病気や不調で辛い思いをした。だからいろんなことを調べた。
そしてどの薬や食べ物が良くてどの薬や食べ物は悪いという知識がついた。
怖い経験をして恐れや不安を持っている人はなにごとに対しても「調べ癖」がつく
調べても「あぁ自分だけじゃないんだな」「病気のメカニズムを知ってこれまでの症状に納得がいって安心した」というのは非常に良いことだと思う。でもそこから深掘りをしていくとどんどんネガティブな情報が溢れてきて先行きへの不安が増してくる。
「治らない」「症状が悪化した事例」「やってはいけないこと」「飲食してはいけないもの」など…
感じとる前になんでも調べてしまう癖がある人は調べるだけでは絶対に気が済まない。
人間は不安になると底なしになる。
今度は人に聞こうとする。結果、周りに同じような仲間が増える。安心感が増してそこから抜け出すことができなくなる。
「不安な人ばかり棲む沼にハマる」
その沼から抜け出そうとすると不安を煽ってお互いの可能性を狭めあい、居心地の良い不安沼からの離脱を妨げる。
今の日本はこの集合意識の現れではないかと思う。
知識は武器だ。だが、不安から身につけた知識はマイナスに働き自分の可能性をせばめる罠にもなる。
私は過去に命に関わるようなアナフィラキシーショック2回、麻酔が合わずに幽体離脱してしまったこと1回👻
直近の手術では麻酔を弱めすぎたためにショック性の意識不明になったことがある。後者2回ではおかげさまで日常、肉体におさまっている状態では経験できないような貴重な体験ができた😂㊗️🥳(参照:不思議なお話④ 臨死体験 )
でもその後の生活ではアナフィラキシーの原因となった薬剤に代わる薬剤を見つけた以外はなにも気にしていない。食べたいものを食べ、過ごしたいように過ごしている。
生活習慣も嗜好も食生活もその時にその人が歩むべき道に合わせて必要に応じて変わっていくものではないか?
一生歩けません、一生治りませんと言われた病を克服する人がいる。
人体に絶対はないのだ。
傾向と対策だけ知ったら「そうなのねーじゃあそこは気をつけようっと!」程度で掘りはせずに臨機応変に楽しく過ごすことが大切だと思う。
今回、私は祖母のこと、フィジーや沖縄の離島に暮らす昔ながらの生活をする人々のことを思った。
昔は病院なんか気軽に行けなかったし、サプリメントなどもなかった。
人々は体調不良の時には自己の自然治癒力に頼るか、悪化しそうだったら自然からの薬草などを煎じて活用したものだ。
フィジー人はよく僕らの国にはアレルギーなんかない!と断言していた。確かに日本ではアレルギーになる人も私も一切アレルギーが滞在中、出なかった。気候や有害な大気がないせいもあるが病院がない!自己免疫に頼るしかない!という気合がみなぎっているのではないか?
現代医学でこれまで治らなかった疾病が治るということも大いにあるし、医療に恵まれた先進国に生きている恵みを享受するのは良いこと。
我慢せずに通院することも良いし、自分に合う薬を飲んで回復するなら飲んでいいと思う。
ただし、
「私は◯◯だからこれができない。」という枠からは薬や食べ物も含めて出てみようと試みることを少しずつしていったら良いと思う。
私たちは毎日生きているし、時間はどんどん流れていくし、体質も生活も変化していくのだから。
この地球も宇宙も創造主と呼ばれる絶対的な存在があらゆるものを創造した。
それは相互に作用しあって助け合い共存共生し発展していくように創られている。
良いも悪いもないのだ。問題意識は社会を変えるかもしれないが事象はすべて必然の流れの中で起きていること。
探求心と時間は自己を掘り下げるのに使うことが実りを産む。
調べ癖から一旦抜け出そう。
調べ癖は直感を著しく鈍らす。
情報依存はこれからのフェイクニュースや不安扇動が横行していく時代に自らを迷わし誤った道へ導く原因となる。
「不安からくる調べ沼」にいつまでも留まっていては発展は望めない。
本人がそこを自覚し改善する努力をしない限りは「調べ沼」から抜け出すことはできない。
頑ななこだわりや不安は自分の魂の行動や経験の幅をせばめる。
私たちの魂は肉体というケースをまとって喜怒哀楽、生老病死を経験しにきている。
食も含めて五感を使ってたくさんの体験をしたくて地球にきているのだ。
たくさん経験しよう、たくさん体験しよう、たくさん味わおう、たくさん輝こう🌟
せっかく身につけた知識やそれに割いた時間は無駄にせずにポジティブな方へ振り向けることだってできるのだ。
私はくだんのサプリオタクにその知識をYouTubeで披露しろと提案した。(イケメンだし良いと思う)
日々、直感と五感を磨こう、明るい方へフルに使おう💫