私はモノを捨てられない女だ。
異常な記憶力でそのモノとの出会いを覚えていたり、モノにも魂が宿っていて波動を出していると幼い頃から気づいてしまったため愛着が湧いて手放しが難しい😆
今朝まで履いていた家用のサンダルもそうだ。
これはずいぶん長い間履いていた。
焦茶色のため汚れも目立たず、だからこそ長く履けていたのかもしれないとも思う😅
単身赴任の滅多に帰ってこない夫が帰省すると「本当に物持ちが良いよねー、それなんかいつから持ってるの?」と言われることがよくある😆
今朝捨てたサンダルも買い替えなさいと神様からも夫からも言われて他のものを買ったけど足に馴染まず結局それはお風呂場のサンダルになってそのまま従来のを履き続けていた。
ところが今朝、ゴミ捨てをしたらゴミの袋に余裕があった。
何か捨てるものはないか?と思った瞬間にサンダルが裂けた。
躊躇なく感謝してお礼を言って手放すことができた🙏
これはサンダルの話ではない!!
神仏やご先祖と言われる目に見えない存在は今、この地上で奮闘して生活している私たち一人一人を全力で見守り応援してくださっている。
日々、24時間、365日、絶え間なくメッセージを降り注いでいる。
でも、受け取っている人と目の前の現実生活に囚われてセンサーが鈍って受け取れなくなっている人に分かれる。
こうしたら良いよ!
あなたが今いる場所は違うよ!
そろそろ違うステージに行きなさい!
と一生懸命、進言してくれているのにそれが受け取れず本来、魂が進むべきではない道に行くと「トラブル」という形で警告を出す。
初めは小さい形で。それでも常識や観念に囚われてシフトチェンジができない場合は警告がだんだん大きくなる。
そして大きなトラブルになって「気づき」が促される。
仕事に専念しすぎて家庭を顧みずある日、帰宅したら妻子共に出て行ってしまった。
自分の体と心に鞭打って朝から晩まで休みも取らずに、たまに休暇を取っても罪悪感に苛まれて仕事に忙殺された結果、怪我や病気で休職または退職せざるを得なくなった。
周りに迷惑をかけないようにと他の人の分まで懸命に何かをやり続けた結果、ある日、倒れて結果的には周りに迷惑をかけてしまった
などある日、突然、今までの生活が大きく変化せざるを得ないような状況になる。
小さい場合でも突然、体調不良で大切な行事に行けなくなるなど思い当たる事例はいくらでもあると思う。
それは突然やってくるように思えるかもしれないが、だいぶ前から警告は出ていたはずだ。
休養または一人になってじっくり考える時間を半ば強制的に与えられて静かな思考の時間の中でやっと人は気づく。
気づいた時には前の状況には戻れなくなっている。
次の別のステージに行くようになる。
これが「自分の声を聞ける」状態になればトラブルに見舞われる前に気づき車線変更をスムーズにできるようになる。
その分、時間も短縮されて痛みなく進むことができる。
やりなさいと言われていることを延ばし延ばしにした場合、「やらざるを得ない」状況にされる。
ということは遅かれ早かれやるようになっていることなのだ。
私たちの意識を超える見識で神仏は私たちを導く。
魂レベルでは理解していても顕在意識レベルでは私たちは現実生活と観念に囚われて本来、やらなければならないこと、進まなければならない方向が見えていない。
でも、神仏と魂を連携させれば強力なナビゲーションシステムが作動する。
それに従えば事故も痛みもなくスムーズに目的地に最短距離で行けるようになるのだ。
最近、雨の日が多いので室内で雨を眺めながら過去の自分のSNS投稿を見返した。
すると転機となった時期の前には少なからずトラブルが起きていることを確認できた。
「電気が切れた」「庭の大木が朝起きたら倒れていた」「滅多にしない遅刻をした」「滅多にかからないインフルエンザになった」など。
その段階では気づいていなくてもその後に必ず状況が変わってステージアップしていたのだ。
私の本セッションを受けている方々もステージアップの前には心が揺れるようなできごとや体調不良が起きたりしている。
そうかと思えば直感型の人では次はこうしようと思うのですがどうでしょうか?という聞き方をしてくる人もいる。
また先に次はこうなるようです。と言うと「やっぱりそうですか!!私もそれを望んでいます。」とご本人が受け取ったものの確認になる場合も多々。
経験をしにこの世に来ているのだから痛みを経験することももちろん魂は喜んでいる。
けれども最短ルートでスムーズに使命にたどり着くには直感を磨き生かすことが何よりも大切だ。
その結果、他者貢献も早く広く多くできるようになる。