先日、ご一緒した方々とは本当に居心地が良かった。
虫が入ってきて目の前に降りたり、自分に止まったら現代の大抵の人は大騒ぎして振り払おうとしたり、ひどい場合には追いかけ回して殺してしまう。
十数人も人がいたらそういう人が一人や二人いてもおかしくないと思うのだが…
誰一人そういう人はおらずみんなが小さな虫にも優しく「生きとし生けるものに対する敬意を持ったまなざし」を持つ人々だった。
必死に何かに乗せて外に出してあげていた。
今は殺虫剤の会社も殺虫ではなく除虫に製品を作り替えている。
LGBTQ,人種差別からの脱却、
生き物を無駄に殺傷して食すという行為を避けたいという発露によるヴィーガン
虫など生き物を殺さずお互いの生活圏を侵さず共生していくという意図からの除虫
海の生物の生息を脅かさない日焼け止めの開発など
世界は他者を認めるという方向に動きつつある。
「優しい世界」というのはうまく循環している世界だ。
それぞれがそれぞれの特性を活かして他者を認め合い、大きな環の中で共生共栄していく🐝
人類も地球も螺旋状の成長をしているのでそういった観点からも成熟度を確かめられる。
(関連:らせんの成長 )
沖縄の首里城に行くと大内原という女性しか入れなかったエリアに除虫菊を植えていた花壇の跡がある。
菊を栽培してそれを王宮内に飾るとともに除虫をしていたのだ。
日本人は蚊取り線香や蚊帳など昔から植物を利用して虫を殺すのではなく除けていた。
化学が発展しておらずものがなかったからだろうか?
そうではないと思う。
今のようにメディアが発展しておらず自分の生活の範囲内で暮らしを大切に丁寧に日々生きていた人々は真理を理解し他者に優しい眼差しを持って生活していたのだと思う。
私が大好きな江戸の絵師 伊藤若冲や鈴木 其一などの日本画を見ていると生き物に対する優しく繊細なまなざしを感じることができる。
細部まで観察して余すことなく描ききっている。それは神のまなざしと同じものだと思う。
そういう私も数年前までは蝶々や蛾が大嫌いで大騒ぎしていた。
みんなそういう道を通ってなんでもなくなるのかもしれない。
うちのお風呂には毎年、年間通して大小さまざまなゲジゲジがどこからか現れバスタブの中にいた。
殺したくないもののバスタブの中にいたらもう這い上がれない。いつもごめんねと謝ってシャワーで流していた。
必死で逃げよう助かろうとする姿は痛ましいのでゲジゲジについて調べるととても優しくて人にとって有益な良い動物と書いてあった。
韓国ではゲジゲジ見たら良い兆しだとか‥😅
確かに足も目もたくさんあって気持ち悪いけれどおとなしくて優しそう。
そう思ったらなおさら殺すのは毎回忍びなかった。
でも懲りずに出てくるのである時、出てきた大きなゲジゲジさんに話しかけた。
「今日はお風呂に入ろうと思ったけど特別、お湯を張らないでシャワーだけにするからその間に逃げなさい。そして仲間にあそこの家に入ったら殺されるからみんなあそこの家には行かないようにって仲間たちにちゃんと伝えるんだよ。」と。
そしたら本当にその日以来、1匹も出なくなったのだ。
言葉は通じないかもしれないけれど動植物には波動で伝わるのだと思う。
言葉が要らず波動で通じるのならば世界中の動植物とは意思疎通が可能ということだ。
それも自然の偉大さだと思う。
人間同士も言葉がなくても通じあう時代がまた来る。