2022年の夏頃、「来年からは海外です」という神託を受けた。
その頃までに国内は当時で福井県と鹿児島県以外の全ての県を回るほど、あちこちを回っていた。
海外かー!と思った途端に9月ごろ、SNSでアメリカ在住のフィジー人と知り合った。
彼が送ってくれたフィジーの実家の映像を見て「これは沖縄と同じ気だ」と思った。
年があけてあれよあれよとフィジーに行くことが決まり、2023年の8月末から10月末まで2ヶ月間滞在した。
(関連:南太平洋の楽園🐠🌺フィジーへ🇫🇯 )
滞在中に私は蚊に刺されたわけでもケガをしたわけでもないのに右手首の内側に傷ができた。
血が出て、固まり、やがてかさぶたが剥けると不思議な傷跡が残った。
ベンツのマークのようである。アルファベットのYのようでもある。
今に消えるだろうと思ったが2年経った今でも消えない。
フィジーは太古の記憶を呼び醒ます場所だった。と同時に「人はシンプルであればあるほど幸福でいられる」ということを確認する場所だった。
来年もフィジーに戻ってきます!と言ったのに2024年はトルコに。
そして4ヶ月後の2025年3月にふたたびトルコへ。
6月には台湾へ。
なかなかフィジーに行けていない🏝️
20歳の時にオーストリアのウィーンでとても親切な家族に出会ってそこのおばあちゃんから大切な鏡をいただいた。
今も玄関に飾ってある。
また会いに来るからね!!絶対に会おうね!と別れたはずだがその後、行けていない。
私の行きたい場所と神様が行かせたい場所は違う。
今ではすべてご神意にお任せしているので行けと言われたところに行くというシンプル路線をたどっている。(そうなるまでにはものすごい反抗期を経て)
日常でも降りてきたものをそのまま受け取り、行動に移すということが完全にできたらそれは神仏と一体になるということなのだろう。大切なのは思考の邪魔を許さず、精度の高い直感を受け取れる器の自分を創ること🌈
私は「神繋ぎ」という恩師からつけていただいたありがたい名前で活動しているが、何を繋いでいるのか?
天と地と人をつないでいる。神と神も繋いでいる。
右手首の傷は「天と地と人」というトリニティを表しているのだと理解した。
右手首は案外、目に入る。
目にするたびに私の使命が発動するように刻まれた刻印なんだなぁと思う。
太古の記憶が残るフィジーという土地からの贈り物だと思っている。
そしてそこから各地で結び、動かす役割が深まっているのだと思う。