運が悪い人に真面目でコツコツ努力家で勤勉という愛すべき善人がたくさんいる。
一方、運が良い人には一見、テキトーでヘラヘラして努力がないような軽い人がたくさんいる。
努力が大切!!と思うと学び続けようとする。
学び続けるのは大変すばらしいことで人は一生勉強!!という言葉もあるがスタート地点と向いている方向が違うとそれは遠回りで取り越し苦労で結局なんだったかわからないになりかねない。
スタート地点とは学ぶ動機のこと。
奥底から湧き上がる「知りたい」「知る時が来た」という衝動からの学びは自分を生かす道に導くものが多いと思うが「自分はまだまだ不足している」という思いからの学びはもしかしたら一生、満たされない学習ループに陥るかもしれない。
何をやってもダメ!何をやっても変わらない!と思う人はぜひ「動機」に着目してほしい。
人を癒したい!と施術者になる人も学びの動機が「自分がうまく行っていないから癒されたい。そして学んだ知識と技術で自分と同じような人を助けたい」から入ると結局は同じような波動のお客さんが集まり、その人のエネルギーを受けて共倒れになることがあると思う。
占い師もそうだ。
自分軸という言葉があるが他に惑わされずに自己を確立するのは精神面だけではなく肉体面でも他からの影響を受けない自己を作らなければならないと思う。
そうは言ってもイエスキリストのように自分の身に相手の苦痛を引き受けて浄化し昇華するという手法もある。
でも、それはよっぽど魂レベルが高い聖者クラスの人がやれるし、やることだと思う。
運がいいのは運の巡りが良いということ。
エネルギーが全身に巡り、活力に溢れているのでフットワークも軽い。
エネルギーが巡っているので直感も働く。選択にムダが無い。
運の良い人がが元気で軽く見えるのは直感が強いので決断と行動が早く多くのことができるからだろう。
名だたる経営者、忙しく活動している人がとっても元気に次々といろんなことに挑戦できるのはこの巡りと信仰心の両輪がそろっていることが多い。
信仰と宗教は違う。
信仰はどの神を信じても良いし教義や形式もなく自由だ。
目には見えない大いなるものに畏怖を感じ敬うことだ。
結局は究極の同じ神にたどり着く。
私たちは誰一人、自分の力だけでは生きられない
という言葉は周りの人と助け合うという言葉にも聞こえるし実際にそうだが、神仏や宇宙エネルギーと共同でこの世を創造しているということを忘れてはならない。
体に巡る「プラーナ」や「気」と言われるエネルギーはどこから来るのか?
運が悪い人というのは目の前の悩みごとに囚われて周りの同じような人に相談したり、決めつけや思い込みでますます深みに入っていく。
また安易に占いやエネルギーワーク、パワーグッズに頼ろうとする。だが、それはその時点でのその人と同じ波動のものを引き寄せるので大した効果はない。
一時的に気分が変わって持ち返すこともあるので悪いとは言わないが、根本が変わっていないとまた同じところに着地する。
私はゲームはやらないがスーパーマリオで時々、飛び上がるのと似ている図😅
一方、運が良い人というのは自分のエネルギーの扱い方や整え方を知っている。
人に安易に聞かない。知識に求めない。人に聞くなら自分よりも波動が高く尊敬できる人に聞いている。自然に対し敬意を払っている。
軽やかな波動でエネルギーにあふれ、ものごとにこだわらない、自分に関わりのないことに深入りしないことは大切なことである。
人間には肉体があってこの世にいられる時間には誰しも制限がある。しかも残り時間はわからない。
自分のなりたい自分を叶えるためにはそんなに回り道や遠回りをしている場合ではない。
不足から学ぶのではなく自分の希望を叶えてあげる学びをするのが有効であるし、誰から学ぶかも重要である。
そして、他から何かを学ぶときには信仰と同じで「謙虚」と「素直」がキーワード。
「言い訳や批判」は学ぶ対象に敬意を払っていない証拠で進歩がない。
その態度は神仏や目に見えない応援団に対してもつながる態度である。