私は時々、セッションの受講者に「もっと貪欲になれ!欲深くなっていい!」と言うことがある。
そう言われる人は普段から「謙虚」「慎み深く」あることを良しとした教育やしつけを親や周囲の環境から受け続けているのでとても制限が多い。
もちろんこの言葉は「今、十分に幸せで満ち足りていて不足はないけれどもうちょっと欲深くなってもいい」という前提で話している。
今、満たされておらず不足感満載の状態の人に「もっと欲深くなれ!」と言ったら間違った方向に行くだろう。
前述の慎ましい人が混乱するのは悪いと信じてきた、物欲に走ったり、現象界に多くを求める方に行けと言われているのではないか?と受け取るからだろう。
今もこのままで十分に幸せだけどという前提で「もっとこうなったらいいな」というものがポジティブな「欲」である。
欲も肉体があってこその感情の一つであり
「もっとこうだったらいいな」という欲があるからこそこの世の発明や文明というのもは栄え発展してきたのだ。
もっと知りたい、もっと深めたい という欲は自分を高める上で大切だが、なんでも言葉の表面だけをなぞるように見聞きしていたのでは自分の血肉にはならない。
実感を伴う習得 こそが一瞬ですべてがわかる💡という奇跡的な次元上昇を起こすことにもなる。
世界のあちこちでいつの世も戦争や略奪、災害が起きていて神も仏も信じないと思っていた人がある日、大自然の中で非日常の体験をした途端にすべてを悟ったなどという話がよくあるのは誰しもの奥底に内蔵されている「真理を悟っているもの」が発動したのだと言える。
先日、深夜番組を見た。
北海道で長年ダイビングショップを経営している老齢の男性とトドの話だった🦭
彼も初めて海に潜った時に地上とはまったく別世界に驚いたというそして「俺はこの仕事で生きていく!」と決めてストレスが多かったゼネコンを退職してダイバーに転身したのだそうだ。海は神そのものだと彼は言った。そしてトドが神を体現していると。
私もダイビングをしているので彼がいうことがよく理解できた。
海の中はいつでもとても平和なのだ。
争うこともなくいろんな種が共存している。私がこの世で一番大好きな曲『Under the sea』もそれを表している🐠
野生の世界では地球のリズムに合わせてただ当たり前に淡々と生の循環が繰り返されている。
八代海あたりでは人は死んだら海に帰ると言われていると本で読んだ。
また沖縄では死後の世界はニライカナイといって海の向こうにあるのだ。
いくら本を読んでも浅い同意「あぁそうか」「ふーん」レベルでは落とし込めてはいない。
日常でふとした時にその本のフレーズが思い出された時「こういうことだったのか」と初めて実感が伴う。
「神わざ」「神ってる」「神がかり」などは人智を超えた現象やピカイチの実力が出せた時に使う言葉だ。
神実現という言葉があるが瞬間的に自分の最奥に眠る「神なる性質」が発動して実力以上の人智を超えた力が出せることを上記の神わざとか神ってるという言葉で表すのならば、日常の100%が「神なる性質」に満たされていることが神意識であり、神意識が自分のスタンダードになっていることが神実現なのだ。
古今東西、悟りを得るためにすべてを捨てて行に出てでも、この意識を体得したいという人たちがいる。
でもこれからの世界は簡単にそれが実現する世界だということを感じる。
私たちの魂はその時代時代に適合したグループで生まれてくる。
そして地球の波動と共に時代を創り上げる。
本来は誰の最奥にも内蔵されている神意識を発動させるか否かは現象に囚われる一生を送るか事象を超えたところに意識を住まわすかによるものだと思う。
だからまずは貪欲に自分の最奥から湧き出る声に耳を傾けたら良いと思う。
それは頑張ってするお勉強とはちがう。
知識を得る、資格や肩書きを得ることに時間や意欲を費やすのもある時期は良いかもしれないけれど他人の評価を得るための知識習得はエンドレスループに陥る。
自分を満たす知識や意識の習得とはなんだろうか?という視点で考えた方が良い。
そのうえで最奥から発せられるやりたいこと、惹かれること、行きたいところ、見たいもの、に従っていくとそれは使命につながる道に入っていっていることだと思う。
森羅万象は起こるべくして起きている。
必然とは「私」にとって最善と思えるものではなく「宇宙にとって最善」のものが当たり前のように起きていること。
そしてそれはもちろん「私」にとっても「最善」であるはずのものだ。
辛い、悲しい、残酷だと思うできごとさえも。
個人も地球も宇宙も「あれがあったおかげで今がある」のである。