私は自分が特別、神様に選ばれた存在だとは思っていない。
なぜなら、私たち一人ひとり、
ひいては生きとし生けるものすべてが特別な存在であり、
それぞれが地球への貢献や、魂の成長のために
この世界に生まれてきていることを知っているからだ。
言い換えれば、
私たちみな、神と契約してこの世に生まれてきている。
だからこそ、一人ひとりが神から指名された「神に選ばれた存在」なのだ。
そして、私たちの個々の違いは、単なる役割の違いに過ぎない。
人知れず、ひっそり誕生し、ひっそりとこの世を去っていく命もある。
お腹の中に宿ったまま、この世に降り立つことなく亡くなる命もある。
それでも、✳︎✳︎この世界に姿を現すこと自体が「誕生」✳︎✳︎なのだ。
「誕生」という言葉は尊い。
誕(たん)
・大きく現れる
・突然あらわれる
・命がこの世に現出する
・さらに古い用法では「神聖なもの・尊いものが現れる」という意味
・聖誕(キリストの誕生)など、特別な存在の出現にも使われる
生(しょう)
・生きる
・命
・生成・誕生・生命
・「生まれる」だけでなく、「生き続ける力そのもの」も含む
つまり「誕生」とは、
単なる出産や肉体の誕生ではない。
尊い何かがこの世界に姿を現し、
目に見える形を与えられること。
無から有になるのではない。
もともと在ったものが、
時・場・肉体を得てこの世界に現れる──
それが誕生なのだ。
小さな花も、
小さな虫も、
そして、私たち人間も。
他者から認められ、評価されるために
誕生しているわけではない。
そこにはあるのは、
壮大な宇宙の中で淡々と続いていく
命の循環だけ。
そして、それぞれに与えられた
「生」としての役割があるだけだ。
私は神とつながり、神のメッセージや光を届ける役目がある。
感覚の強弱はあっても、誰かが「私のようになりたい!」と願っても、
それはなれるるものではないとも思っている。
同じように、私自身も
たとえば世界的ダンサーに憧れたとしても、私がその道をなぞることはできない。
私たちには、それぞれの特性があり、
それぞれの役割があり、
それぞれの「道」があるのだ。
私たちの「魂」は知っている。
自分が何のために、どんな役割を持って生まれてきたのかを
どんな道を生きても、
必ずあなた自身の「道」に辿り着くようになっている。
何度も転生を繰り返し、
とてつもない時間をかけたとしても、必ず。
それこそが永遠なる魂の目的だからだ。
そして──
遠回りも、迷いも含めて、
「宇宙真理」を思い出し、
共同創造を生きること。
それが、魂にとっての
もっとも穏やかで、もっとも深い道なのだ。



















