私は山育ちだ🌲🌳
若い頃は山の閉鎖感を激しく嫌悪して都会や海辺に暮らすことを夢見ていた。
幼少期から海への憧れが人一倍強かった。
父は海釣りが大好きな人で、ある意味、海派だったので小さい頃からよく海に連れてってくれた。
でも父が見せてくれる海は私の「理想の海」ではなかった。つまり私の過去生がことごとく東シナ海だったり玄界灘だったり南太平洋だったりするため、仙台の太平洋の海はなんか違う!!と不満だったのだ😆
20代になると私の海好きは抑えられず、ハワイの海で私はビニールボードを膨らませてなぜかローカルサーファーたちと毎朝、海に入っていた幸せな記憶も消えず、神様からも海に入ることをライフワークとして指示されたため仙台の海でボディーボードを始めた。
以後、5年ほど朝も夜も夏も冬も通い続けておかげで日焼けで真っ黒だったし、その頃、腹筋は割れていた😆
その後、インドアのプールで泳ぐ日々が続き、四国への転勤をきっかけに今度は遠泳を始めて各地の大会に出たりした🤣
仙台に戻ってからはダイビングを始めて今度は海中深くに行くようになった🐡
そういうわけで私は海が大好きな「海派🏝️」なのだ。
ところが私を特に大歓迎してくださってあふれる愛情を示してくださる神々はなんだか山派が多い🍁
飛行機に乗っていても突然起こされて下方を見せられると山の中に赤い鳥居が見えたりする。
また、沖縄でも本土でも突然、目の前の山から強烈に呼ばれたりする。
石垣島のユタさんが特別なパワースポットに連れていってくれたのも山だった。
(関連:https://mokca8888.com/archives/1736 )
私が育った山も縄文信仰の残る霊山である。
そんなこんなで最近、特に山に呼ばれる機会が多くなってきた。
一昨年、沖縄本島のユタ友ちゃんから「ISAちゃんはこれまでは海の龍神と仲良くしてきたけどこれからは山の龍神と仲良くしてよ!!そうじゃないとお務めが果たせないわけよ!!」と言われた。その時はふーん🧐とピンと来なかったがその後、急速にその意味がわかるような出来事が続いた。
沖縄本島、石垣島、宮古島などでも山に呼ばれるようになったのだ。
重要なものは山にある。というのが実感だ。
先日、鹿島神宮や香取神宮、大洗磯前神社、泉神社などを巡る茨城の旅に行った。
これはISAリトでもあったので御神託や神様の話をしながら巡った。
数年前から奥多摩の三峯神社にも呼ばれているが先に御嶽神社に行ったりして行く機会がなかなかなかった。
数年前に行った犬神信仰の徳島の検見神社が何度も現れたりして三峯神社が呼んでいるのも感じていたがまだ行っていないのだ。
そしたら、泉神社の境内で強く呼ぶ摂社があった。一緒にいた人にもよくわかるほどで「ISAちゃんそこの神社に猛烈に呼ばれているね」と言われた。そこが三峯神社の分社だった🐺💞茨城の旅は「要石」と「水」がテーマだった。
その前は長野の戸隠神社へ行った。ここもまた一昨年あたりから強烈に呼ばれていたところだ。
行ってみたら猛烈に呼ぶ九頭龍がどこにいるのかわからず(調べてはいけないので笑)とりあえず目についた火之御子社と中社へ⛩️
九頭龍社は奧宮にあることがわかり向かったがものすごい道のりだった🐉
途中でもうやめて帰ろうかと何度も思う過酷な山道。僧房や先導してくれるたくさんのお坊さんが視えてここが元はお寺で修験の山だということを否応なく思い知った。
やっと九頭龍社と奧宮に着いた時には見事に誰もおらずゆっくり堪能できたものの帰りは急速に日が暮れて真っ暗な山道をこれまた光の道のように明るく照らしてくれる満月と足元には一直線に神々が光の道を作ってくれているようにほの明るく見える道を無事に帰って来れた🌕
私は降りてきた指示に従ってあちこちに行く。神仏はこちらの都合などは全く考慮しないので突如、予定が決められていく。
私はあまりアニメや映画を見ないので知らないが、一部の映画と私の行動が重なるとたびたび言われることがあり、現実にそういう人がいるんですねーと感心されることがあるが、実際の私は何をしに行っているかは知らされていないし、何をしているのか、その結果がどうなっているのかも私は知らない🤣
私は「行為」をする者であって「結果」は神のものであるから結果や理由を問うことはないのだ。
(かつてはなんでなんで!?聞きまくっていたが教えてくれないし、必ず行かされるので聞かなくなった😅もう諦めた🤣)
ただ、山がこんなに呼ぶということは「地を司っている神々が必要」としているからであり、自然災害、天変地異などに関係があるのかもしれないと思うだけである。
なんかこのブログを書いていて今まで行ったところを思い出していたら「陸海空制覇!!」ていう言葉が降りてきた🤣確かにねー🏝️⛰️🐠🦆
🌕ISAリトについてはこちら