生きがいは何か?というと若い頃は楽しいことをする、ラブラブな恋愛をする💞、お金をたくさん稼ぐ💰、美味しいものをたくさん食べる🍰など欲望優先だったかもしれない。
でもある程度、歳を重ねると「生きがい」は自分がやりたいと思うことと義務や仕事(使命・ダルマと呼ばれるもの)が同じである状態だと思う。
ほとんどの人は、特に日本人ではなかなかそれが実現できている人が少ないように思う。
外国人は有名大学を出て医者や弁護士になったりした後に突如、進路を大きく変更することがあるのだとドキュメンタリーや映画を見ていて思うが実際にそうなのだということは外国人とやりとりするようになって実感した。
昨年、フィジーに行くきっかけになったフィジー人の友人は航空会社に勤めていたがコロナの煽りで退職候補に。
それを機に親戚が住むアメリカに渡って警察官になった。試験など難しかったそうだ。フィジーとはあまりに違う環境にストレスが多く大変だとは思うが服装や買い物が全く変わってきている🤣それなりにアメリカの生活を楽しんでいるのだろうと思う。
また、昨年フィジーのビーチに一人で来ていた男性はハーバードだかケンブリッジだかとにかく誰もが知る有名大学を出て科学者になったが夢を捨てきれずに大道芸人になって世界中を回っていると楽しそうに熱く語っていた。
すごいイケメンで頭も良く、その後、バーに行ってみんなで一緒に飲んだがお酒も詳しく強くてみんなに優しいナイスガイだった。
科学者だった頃の稼ぎの半分以下どころか全く収入がない月もあるが楽しくて気にならないと言ってたくさん写真を見せてくれた。
いざとなったらインターネットがつながっている限りはどこにいてもお金を稼げると思うと。
日本人ならどうだろう?
有名大学をせっかく出たのに!という周りからのプレッシャーでなかなか自分が進みたい進路に切り替えることができないのではないだろうか?
私も大企業を辞めるなんて!という言葉に踏みとどまり続けて15年もいてしまい、トータル30年近くの会社員生活だった。
得たものも大きかったと思うが社会に縛られずに若い頃からもっと思い切った行動をしていたらどうだっただろうか?と思うことはある。
いずれにしてもすべては最善のタイミングで最善の出来事が起きているのだと思えば今の私の人生がベストなのだろう。
そして、これから先、1分後でも10分後からでも未来は自分の思いどおりに創っていけば良いのだ。
私が最近、気づいたことに「結局は遠回りなだけで戻される」ということがある。
私は若い頃、なぜだかカナダのケベック州に留学したいと熱心に調べたり資料を取り寄せたりしていた時期があった。
カナダなのにフランス語が公用語のその地方になぜか惹かれたのだ。
昨年、フィジーには7〜10日程度の旅行で行こうと当初は考えていた。
ところがとんとん拍子に語学留学になった。
決め手はこの若い頃に果たせなかった「留学」というものを経験したいという思いだったのだと数十年ぶりに自分の願いを確認するに至った。
そして、先日、私はデパートの中でたまたま目にしたネックレスに一目惚れした。
お高いので一度は家に帰ってきたものの忘れられない。神様ー!!とお願いすると翌日、思いがけない臨時収入が入った。
これはGOサインだと11月1日に買いに行くと店員さんが覚えていてくれてこれはネイティブアメリカンのお守りなのだと教えてくれた。
今年、私は沖縄でネイティブアメリカンのシャーマニズムをしている尚ちゃんにジャーニーという守護動物を思い出すセッションをしてもらった。
(その様子はこちら:https://mokca8888.com/archives/2333 )
ネイティブアメリカンねー。と思った。そのネックレスはさまざまな動物が天然石で彫られていて亀や鯨、お魚までいてとってもかわいい。
すると翌日の夜、今、NHKをつけなさい!というメッセージが。つけると北米ロッキー山脈の四季と動物たちの番組だった。
熊やリスたちの愛らしい姿を見ているうちにその番組でネックレスの動物がぜんぶ出てきていることに気づいた。
亀はその地方にしかいない固有種で海の中の森の番人だという。
興奮してこういう話になんらかの反応をしてくれそうな友人にネックレスの写真ともに送ると彼は自分も忘れていたけれどカナダのケベック州産の天然石を持っていてすごく大切にしているといって改めて互いの過去の共通点の多さに驚いた。そしてまた、彼もシャーマニズムのジャーニーをやって熊だと言われたといっていた。
インティアンジュエリーってどんなものがあるのだろう?と思ってネットで見てみてもう一つ。衝撃があった。
子供の頃に親戚か誰かからもらった貝の鳥の形のブレスレットもインディアンジュエリーだったのだ。私はてっきりハワイかどこかのだと思っていた。
私は最近よく思う。
ファーストインスピレーション、強烈な直感には間違いはないのだ。
なぜか熱心にやったのに途中でやめて実行しなかったもの。
ピンときたのにやらなかったこと。
これらは数十年経って忘れていてもいつか必ず引き戻されるのではないだろうか?と。
私は神様の指示(直感ともいえる)に逆らわなくなったと前回のブログに書いたが運命には逆らえないというかどうせやるようになっているのだなぁと思う。イスラム教徒の友達も神が決めた運命には逆らえないと言っていた😆
直感を受け取ってもやらずに別のことをしてきてもどうせ最後にまた戻されてやることになる。
単に自分で遠回りをしていただけだったのだと気づいた。
インスピレーションに従って行動もしていたらシンプルにスピーディーに実現したであろうことをわざわざ遠回りしているのが自分の思考である。
シンプルにスピーディーに実行して実現したら、次のインスピレーションが降りて最短でたくさんのことができるのだ。
遠回りして人生の後半になって後悔したりバタバタするのではなく受け取ったら勇気を出して実行に移して行った方が結果は多くのことができるのだと思う。そして、それこそが「生きがい」につながる最短ルートなのだと思う。
進路変更するときにはさまざまなお試しがあったり、チャレンジングな出来事が起きる。
それは本当にそれやるの?ファイナルアンサー?と聞かれているのだ。
はじめにYES!!と思ったならば思い切ってやった方が良い。
振り返ればお試しやチャレンジングなできごともすべて「生きがい」を得るための布石だったのだと気づくからだ。