シャンルウルファの楽しい1日のメインの訪問箇所は終わった。
お天気も良くて使命もわかってたっぷり歩いて充実感に浸っているとガイドのモハメッドがお茶しませんか?という。
しかも私の大好きなピスタチオコーヒー😍
2つ返事でバザールに向かう。
いろんなお店が立ち並び地元の人で活気がある。ケバブもとっても美味しそう!!
カフェでピスタチオコーヒーをオーダー。めちゃくちゃ美味しい。そして、ここにも犬や猫がたくさん☺️やっぱりトルコが好きだわ😍
コーヒーブレイクの時にモハメッドが新婚で来月、子供が生まれると聞く。本当にトルコ人の年齢は見た目ではわからないものだ😆
日本人が若く見えて私が初日に出会った38歳のトルコ人からかわいい妹🩷と言われるのも不思議ではないのだ笑
その後、バザールを散策。前回のトルコリラの残りを持ってきたので今回は両替をしていない。現金わずか!!
でもバザールはカードが使えない!私はケバブが食べたい!けれどもお土産が安い!!ケバブを諦める。
するとシミットという毎朝、食べていたあのゴマのパンが売っていた。日本円で40円。揚げたて!!
迷わず購入。買っておいて良かったのだ。その後、イスタンブール空港内ではこのシミット、ひと回り小さくなって日本円で1200円だったのだから。
モハメッドのこれまでの経歴や奥様との馴れ初めも聞いて親しみも深まり、次に来たときはカラハンテペ、ハラーンも回ってアララト山も見たい!と言ったら簡単に3日間くらいの魅力的なプランを示してくれた。
土地との出会い、土地の食や人との出会いも旅の醍醐味だ。
駆け足の旅だったけれど前回の10日間の旅に匹敵するくらい濃密で良い旅になった。
後日、帰国後にトルコ人のお友達に報告に行った。チャイを飲みながら地図を広げて行った場所と写真を見せる。
買ってきたピスタチオコーヒーの淹れ方がわからず作り方を聞いたり笑
彼はシャンルウルファに近い街の出身なので行く前にラマダンの最中の街の様子などを教えてくれた。
「私、イスタンブールが大好きだと思っていたけれどシャンルウルファが大好きになっちゃったー🩷」と言うと「トルコは田舎の方でもエルドゥアン大統領がちゃんと整備してくれて美しくて便利になっているから遊びに行くのはイスタンブールでも住むのは田舎がいいよ」と言っていた。
同感である。
日本でもそうだと思う。大阪や東京に行くと私は調子が悪くなる。電車と人混みがダメなのだと思う。夫は調布市に住んでおりあのあたりは緑豊かで良いのだが途中、東京駅と新宿駅が私の疲弊ポイントとなる。
便利さを追求した結果、網の目のように張り巡らされた交通網。そこを行き交う何万という人々。
災害が起きたらひとたまりもない脆弱さを行くたびに感じてしまう。
人間の起源はずっとシンプルなのだ。
私が幼い頃から繰り返し見たビジョンのように広い大地に水路があってそこに動植物も人もみんな共同体として平和に暮らしていたのだ。
思うだけで意思疎通ができ言葉さえいらなかった時代があるのだ。
思うだけで意思疎通がなされるということは邪な考えさえも見透かされてしまうのだから自ずとネガティブなことは起こらないのだろう。
一昨年、暮らしたフィジーでもそれを感じた。暮らしがシンプルだと人は幸せなのだ。
進歩とともに欲が出てくると人は神から遠ざかる。
聖者の話を聞いて納得して生き直せる時代からマントラや経文を唱えて立ち直ろうとする時代、ヨガのポーズや修験など肉体に制約を課して神に立ち返ろうとする時代、そして現代、立ち返ろうとする起源さえも忘れて日々の生活に忙殺されて死んでいく時代。
今回のトルコ旅は世界の起源、人の起源とは?神の救済とは?生きとし生けるものとの共存とは?に立ち返る旅だったのだと思う。
現代の人は幸せ=社会的地位や金銭の豊かさなど現世利益を求めがちだ。
それは順序が反対なのだと思う。
神と呼ばれる創造主と我々、地上に降りた生きとし生けるものとの共同創造により豊かさは後からもたらされるのだ。
はじめにそれを追い求めるのは順序が違うのだと最近、悩める人々を見て深く思う。
豊かさは絶対的信頼とともにやってくるのだ。