奈良へは年に1度以上は行っていると思うが今回は特別だった。
まず最大の目的はプライベートで恩師に会うこと。
奈良駅からレンタカーを借りて行ったが車の中にスマホを置き去りに。
出された美しいインドのお菓子や淹れてくださったおいしいコーヒーの素敵な器も撮り損なった。
でも、そんなことを全て帳消しにするほど、というより
「スマホなんか邪魔だ!この時間と会話と共有される波動に集中しろ!」と言われているような濃密な6時間だった。
今後、どのように生きていくのか、自分がすべきことはなんなのか?自分の存在とはどのようなものなのか?
改めて自分にも人にも宣言し、間違いなくこれは大切な「分岐点」になった。
泊まったホテルの窓から朝、ものすごい気配を感じる。
目の前に見える山は「三輪山」だった。
明日、行くからねーとお祈りし、2日目は天河大弁財天社と丹生川上神社下社へ⛩️
ここは4年前、この仕事をする直前にその頃、仲良かった霊能者のお友達に連れてきてもらった。
早朝なのに神職が「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへお参りください」とお迎えに出てくれたのが印象的だった。
そして、知らずに行ったのに偶然、ドンピシャで朝の御神事に参加することができたのだった。
(その時のお話 奈良旅🦌備忘録2021年 )
今回は9時半ごろ到着。すでに炎天下☀️
参拝の列に並んで自分の番になったら横から宮司さんが現れた。
あー!!柿坂宮司だ!とピンときた💡
いつか彼の言葉「人の言うことは聞かぬが、神の言うことは聞く」という言葉に感銘を受けて長い間、心に留めていたのだ。
私の参拝後に宮司が「皆さん、この後200名の団体の参拝がありますのでどうぞお早めにスムーズにお願いします」と言ったせいか人々はさっさと拝み、さっさと立ち去っていたが、私たちは椅子に座ってご神事をたっぷり拝見し、共有させていただけた。
振り返ると本殿前の参拝者はどんどん増え続けすごい行列ができていた。
そして、本殿から出た途端に山伏の団体が階段を上がってきてまもなく一般参拝者の参拝は中止となったのだ。
前回は早朝。朝の御神事が終わった後にお屠蘇と昆布を巫女さんからいただき、お供物のお米を鳩や鳥たちが食べていて、神も人も動物も一体となったほのぼのと幸せな光景が蘇った。
4年間も経っているけれどやはり神様は覚えていてくれて変わらず歓迎してくださったのだなぁとうれしかった。
そもそも、なぜ今回、天河へ?
それは4月ごろ、やたらとその名前を目にするようになったところに、そこに行ってみたいという人が現れた。
と同時期にしばらく使っていなかったバッグから「天河弁財天御守」が出てきたからだ。
これは呼んでいる、今、またおいで!と言っているのだと。
それならばもう一人、共通の人を誘って3人で共通の恩師の元を尋ねようと言うことになった。
(昨年11月も東京から夜行バスで日帰りという強行スケジュールのもと、同じメンバーで会いに行っていた笑)
二社目はこれまた4年前に天河大辨財天社の後に訪ねた丹生川上神社下社だ。
ここには白と黒の神馬がいる。このお馬さんたちの様子が滅多に開かないFBを開くたびに表示されるようになった。
ここもまた呼んでいた!天河に来るなら一緒においでーと🐴
私の枕元に置いてある「水神」と書かれたうちわはここのものだ。「日本最古の水の神の宮」である。
さて、もう一社、行きたいけれど気が進まない神社があった。
1日3社まで!というルールにも抵触していないのに、とりあえずお昼を食べてから考えることに。
食後に神は言った。
「どうせ来たなら2度と行けないようなところに今から行ったら良いではないか?今なら時間も間に合う」と。
それは「玉置神社」だった。
行ったこともないし、知識もまったくないが行く前から大変なところなのだという感覚だけがあった。
山奥にさらに2時間半進んだ十津川村にあるのだ。前回も十津川村の入り口までは来たと思う。
この神社は今年に入ってから何かの拍子にたびたび目にするようになったが、意識の上ではあまりに気にしていないのに、ふとした時に「玉置神社かー」と考えてしまう不思議な呼び方だった。
調べない人間なので「どこにあるんだろう?すごい静謐なところだなぁ」と霊視して感じているだけだった。
が、それが自分が行こうとしている同方面にあると知ったのは旅に出るちょっと前のことだ。
そして、当日になっても迷うほどの抵抗があった。行きたくないのではなく、行ったら大変なことが起きるという予感のようなものだ。
セッションをしていると明らかに変容するチャンスなのにスムーズにそちらに行かない人がいる。
その先に大きな変化が待っている場合、人はそれがどんなに良いことでも、今いる環境から脱するということをハードに感じるものなのだとセッションのクライアントさんを見ていて常々、思っているが、まさにその感覚を玉置神社は私に与えた。
幸い、一人ではなく常に私を励ましてくれる貴重なお仲間が一緒なので行くことにした。
昨年、途中で引き返して帰ろうとした戸隠神社の奧宮もこのお仲間のおかげで到達できた🌳
(関連: 海好きの私が…山ってるこの頃⛰️)
が、案の定、大変な道のりだった。物理的に…😱
ものすごい山道、急カーブや一車線の道が続く。
すれ違うのも困難な道幅のガードレールもない片側が崖の上で対向車も来る😆
ドライビングテクニックをいかんなく試される苦難の道のりだ。
レンタカーがコンパクトな軽自動車で本当に良かったと心底思った。
帰ってきてから玉置神社は人生を変える神社だと言われていることを知った(事前に調べないのでそういう情報は遅い😆)
昔の人は熊野三山の奥宮であるこの神社に熊野古道を延々と徒歩で歩いて登ったのだ。
歩くこと自体が「祈り」だったのだろう。
急峻な坂道を己の体力と精神力、そして信仰心だけで徒歩で登っていくのだ。
車でも運転に集中しないといけないし、トンネル入る手前も急カーブ、出た途端に急カーブなどスリリングな道程でやはり現代でもこれは行くまでに禊祓いがなされ、祈りに通じるように設計されているとしか思えないハードドライブだった。
ただ、こんな山道でもしっかり舗装がされていて、トンネルを作り、道路を作り、アスファルトを敷いた人たちの足跡に感謝も湧いた🙏
やはり山は信仰そして水の源であり特別なのだ。
着いてみたらきちんと整備された広い駐車場にホッとしたのも束の間。
本殿までがものすごい遠い。
ここからまた修行が始まるのである。
帰ってくる人たちと挨拶を交わすとどの人も「大変ですよー」と無言で顔に書いてあるようだった(もちろん行きはそんなに深く気づかない😆)
鳥居をくぐったところから猛暑が嘘のような涼しさで静謐な空気に満たされている。
杉の木立から向こうに青く山々が見えて、キレイな声の蝉たちが歓迎の大合唱をグループごとに交代で歌ってくれている。
大雨が降った後のようで道も木々の葉も濡れていた。浄めて待ってました!と言われているかのようだった。
旅に出る1日前に松下幸之助さんからお守りをいただくという不思議な夢を見た🦋
ロイヤルブルーの生地に金文字のとても美しいお守りだった。
えっ?なんで突然、松下幸之助さん?と思ったが先月、伊勢を旅した時に椿大神社で松下幸之助さんを祀るお宮をお参りしたのだと思い出した。
それにしても不思議な夢だったが、なんとなくこの旅の予兆だったのだと今は思う。
玉置神社は修験の地、熊野三社の奧宮である。
さぞかし厳しい威厳に満ちた御神気なのだろうと思ったが実際はとても優しくみんなを見守っているような御神気だった。
樹齢数千年の御神木が多数ある。
ここの神も木々もまた過去生からの私たちの魂の姿を見守り、知っているのである。
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