イマドキの若者はみんなキレイ✨と母が感心するように言う。
確かに、どこに行っても若い子たちは男女問わず本当に美しい✨
タレントや俳優に引けを取らないほどのかわいさや美しさを自然に輝かせている💎
海外でも
「日本の女性は美しい!」
「日本の女の子はかわいい🩷」
という声をよく耳にするし、海外の友達からも
「日本人は男女ともオシャレで顔が整っている」
と言われることが多い。
一昔前は、一般人と芸能人の間にははっきりとした差があったように思う。
どれだけ顔立ちが整っていても、一般人は一般人のオーラをまとい、芸能人は芸能人のオーラを放っていた。
その違いは、やはり「意識」なのではないだろうか。
今の若い世代は、SNSの普及もあり
「一般人」と「芸能人・セレブ」との垣根をほとんど感じていないように見える。
なんでも手に入る時代。
簡単に世界とつながれる時代。
意図とやり方次第で一気にお金を得たり、スターダムにのし上がれる時代。
可能性が誰にでも大きく開かれている時代に生まれた彼らは、
気負うことなく、興味を持ったものに自由に手を伸ばせるのだと思う。
では、前時代の人たちはどうだっただろうか。
派手な服を着れば
「芸能人でもあるまいし」「女優気取り」
キレイな人がメイクをすれば
「化粧なんかしなくたってキレイなのに」
オシャレや美容をがんばれば
「どこに出かけるわけでもないのに」
「とりすまして気に入らない」
こうした「出る杭は打たれる」をほのめかす周囲の言葉によって、私たちは知らず知らずのうちに
小さくおさまり、安全に生きる自己を形成してきたのではないだろうか。
ちなみにこれらの言葉は、私が小さい頃、
親戚や近所のおばちゃんたちの口から実際に発せられていた言葉たちだ😂
外側からのネガティブな影響を受け続けるうちに、
私たちは自分を抑え、縮こまり、無難に生きることを選ぶようになる。
こうした「意識の在り方」は、
私たちが生きている世界の捉え方そのものにも影響している。
現実の表れの世界は、戯れの幻想の世界。
真実の世界は自分の内側に展開し、
それは広大で深遠な世界へとつながっている。
そこから発せられる意図と光は、やがて現象界にも反映されていく。
したがって、見るべき世界は
自分を取り巻く外側の現象界ではなく、
内奥にある真我を中心とした世界なのだ。
とはいえ、これを理解するのは簡単ではないかもしれない。
ただ、外側ではなく内側を意識して日々を過ごしてみる。
すると、現象の現れが変わっていくことに
小さな気づきや実感として出会うようになる。
まずは小さな一歩を踏み出すこと。
その実験と継続が、やがて確かな進歩となっていくのだ。
最近「出すぎた杭は打たれない」という言葉を聞いた。


















