先日、お友達の別荘で草刈り機を借りて草刈り体験をさせてもらった。
前々日にお友達が炎天下で酷使したせいか動かなくなり、ホームセンターに持っていったそうだが、ホームセンターの係のおじさんの前では元気ハツラツに動いてなんともないと言われたらしい。
私がやった時も動かない。「頑張ってー」と心を込めて話かけてみたらお友達はびっくりしていたがブーンと草刈り機は快調になった。
お友達はぜんぶ容赦なく刈って!というが、朝なのでツユクサが青いキレイな花をたくさん咲かせていた。百合にもたくさんの蕾がついていた。
私がためらうとまた草刈り機が止まってしまった。今日はやりたくないんだって〜と早々に終わったけれどこれは偶然なのか?
石垣島ではボロボロのレンタカーを借りてしまい仕方ないので「おばあレンタカー」と名付けて話かけ、励まして未舗装の道まで石垣島中をご一緒した。 (関連: 琉球片道切符旅 こぼれ話④ おばあレンタカー)
私は子供の頃から動物やぬいぐるみはもちろんのこと、植物や物にも名前をつける変なクセがある。
現在の車は大好きな生物スナメリちゃんにちなんで「スナメリン号」、自転車は「スナメリン2号」略して「スナメリンニ」。
小学3年生の時から育てている元ミニ観葉植物のパキラは「パキラッタ」など(もはや私の背丈ほどになりミニではない)。
変わってるねぇーと白い目で見られることも多々あったけどこれはもう性癖の域で治りませんねぇー🤣
名前をつけるせいなのか物が異常に長持ちする。小学生の時のものさし、定規、シャープペン、ボールペンなど年代物が新品同様に手元にあって健在だったりする。
先日のセッションで、何か高額のものが欲しい時、なぜそれが欲しいのか?考えてみてくださいという話をした。
「優越感を味わいたい」「所有している自分はすごいと思われたい」「ステータス」どれもそうですねという理由だったが、では、それを持っていない現在のあなたはダメな人間なのか?
夢を実現させる時、「人より優位に立ちたい」「人を見返したい」「人を屈服させたい」という願望の抱き方よりは
今ある自分にも満足していて、そのうえでさらにそれが欲しい。ステージアップした自分の象徴として所有したい。というポジティブな理由の方が望ましい。願望は常にポジティブに願おう。
日本には付喪神(九十九神 つくもがみ)といってモノにも霊魂が宿るという考え方がある。
モノにも霊魂が宿るのであればそのものを褒めて愛でて好きだと思って所有する方が所有される側にとっても嬉しいだろう。
あの形と色が素敵。一目惚れしたから。肌触りが他にはないと思ったから。運命の出会いだと思ったから。などなど…
自分がモノだったらそういう風に思われて大切にされたら他人を見下す手段として所有されるより絶対に幸せだろう💖
これがモノにも通じて共鳴すると、物持ちが良い、故障が少ない、いつまでもキレイということが起きるのだと思う。
量子力学でいうフォトンはこの世の全ては光と粒と波でできているという。神様も同じことを言う。
だから一見、隔たりがあるように見える我々の肉体と他人の肉体、物質や自然との境も実際にはないのだと。
したがってなんの違いもない。ただそれは集まって光って揺れて流れて漂っているだけ。
そして、光や波は類似したもの同士を引き合うだけ。これが波動と言われるもの。
高い波動は高い波動を引き寄せ、低い波動は低い波動と引き合う。
日本人は昔から「一寸の虫にも五分の魂」とか付喪神など小さな虫や物体にさえもちゃんと魂が宿って感情があるのだと感じる国民なのだ。
私はダイビングをするが海の中のお魚たちの波動は本当に優しく平和そのもの🐠小さなお魚でもちゃんと伝わってくるものがある。
断捨離、ファストファッションなど簡単に消費して捨ててしまうことを良し!としてしまいがちな世の中だが、今一度、自分だったら他者からどう扱われたいのか?考えてみることをお勧めしたい。
欲しいものがあった時にはどうしてそれが欲しいのか一旦考えてポジティブな理由で欲しがろう。
本当のお気に入りのものを身の回りに置こう。
自分が他者や他の生物、物をどう扱うか?その扱い方が巡り巡って自分の周りからの扱われ方につながるのだ。
なぜなら波動はすべてのものと繋がっているから。