私はどういうわけか幼い頃、「黒人と結婚したい!黒人が世界で一番美しい!!」となどど言って親をうろらたえさせていた。
(九州男児か黒人と バージョンが増えたが二択であった😆 それもこれも過去生と使命に由来すると後年わかったのだが)
幼稚園に上がる前に街中から山の小さな団地に引っ越して退屈しきっていた。
そんな時に近くのキリスト教会に「ガイジン」が住んでる!と聞いて単なる好奇心で教会をのぞきに行った。
白人の老牧師ご夫妻がとても優しく歓迎してくださって熱心に教会に遊びに行くようになった。
日曜日の礼拝は木の柄がついた黒っぽいビロードの献金袋が回ってきたり、みんなで聖書を読んだ後に讃美歌を歌うのも珍しくてワクワクしたし、日曜学校ではイエスさまの塗り絵や折り紙をするのも楽しかった。クリスマスの演劇にも出たと思う🌟
ロバを飼いたい!!と猛烈に訴えていたのもきっとイエスさまの塗り絵にたびたび登場したからであろう🫏
牧師さん夫妻にも無邪気に「黒人と結婚したい!!」と訴えていたので彼らが帰国する際、私の母にこんな個性的な子供は日本の社会ではつぶされてしまうので私たちがアメリカに連れ帰ってあちらで育てるのはどうでしょうか?という提案をさせるほど心配していただいていたようだ😆
子供の頃から邦楽より洋楽、しかもブラックミュージックが好きだった。その後ワールドワイドに聞いて今はアフリカンポップが好き🎶
教会で知ったのか?小学生の頃からUNICEFに寄付をしていた。
寄付をすると自分の名前が印刷された宛名シールが送られてきたり、そのうちUNICEFグッズの絵ハガキやメモ帳、ファイルなど世界中のデザインや素材で作られたグッズに魅了されて寄付というよりはお買い物を楽しむようになった。物持ちの良い私は今でもUNICEFグッズを持っている。
そして、その中に必ずニューズレターが入っていて世界で起きている様々な問題や支援を必要としている子供たちの現状が写真入りで報告されていた。自分と同じくらいの子供が全くちがう土地で自分とはちがう境遇で生活をしていることをカメラをじっと見据える彼らのまなざしから感じ取っていた。
時が経って教科書で私は国連難民高等弁務官事務所の緒方貞子氏と出会った。
私は真面目なガリ勉ではないものの、何故か教科書で衝撃的な出会いを果たす傾向にある。
初恋は奈良の興福寺の阿修羅像🩷その次は新撰組の隊長 近藤勇❤️とお二人とも教科書の写真に一目惚れだった。
そして緒方貞子氏は私の最も尊敬する人物となったのである。
それまでUNICEFグッズの購入を通してUNICEFを支線していた私はそこからUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)への支援に切り替えた。
こちらはグッズなどはないのだが、子供の頃はクリスマスに、会社員時代はボーナスの時に年2回、ささやかながら寄付をさせいただいていた。
会社員じゃなくなってからは私のこの世の生に感謝してお福わけという形で誕生日に寄付をさせていただいている。
緒方貞子さんが亡くなった1週間後にNHKで特集があった。
その録画を私は消さずに持っていて時々、見るようにしている。これからも絶対に消さない永久保存版の録画である。
物がありふれて生きることに困るという状況からは程遠い日本では平和ボケして他国の現状を忘れがちになるからだ。
私たちは島国ということもあって世界情勢に疎い。
ロシアとウクライナの長引く戦闘も遠い国のできごとで終わってしまいがちだ。
対岸の火事を自分ごととして受け取る視点を意識的に持たなければ日本は世界の感覚から大きく引き離されてやがて国力も衰えた時には孤立無縁になるのではないだろうか?
普段は忘れていてもUNCHRや国連関連の寄付をしているとニューズレターが頻繁に届き世界の現状を目にする機会を得る。
自分の節目やクリスマスなど覚えておきやすい日に自分だけではなく、自国のためだけではなく、広く世界のことを思いやるひとときを設けても良いのではないかと思う。
国境、人種や肌の色、言語を抜きにすればすべて同じ時期にこの世に降りてきた魂の同志なのだから✨
井の中の蛙になってはいけないし、陰謀説などの問題ばかりに夢中になってもいけない。
現代社会の中でも自分の意思とは関係なく住む場所を追われ奪われる命や人としての権利を守るために現地で支援できなくても祈りを届け、行動できることはあると思う。
https://www.unhcr.org/jp/sadako-ogata