2023年11月22日に約3年ぶりにヒマラヤ密教ヨガの恩師に再会した。
先生方は私を見るなり満足そうに何度も頷かれてとても褒めてくださった。
いろんな方から「あなたは本物」とというお言葉をいただくことは多いのだけど私自身はあまり自覚がないため謙遜してしまい、つい否定してしまいがち。
その時も「いえいえ、私なんぞは凡人です。」と恐縮。
そう言ってくださる方々は私というヘラヘラしておちゃらけたISAちゃん表面ではなく😂
私の神性の部分を視てありがたい言葉をかけてくださっているのだと知っていてもついつい、口から出る謙譲と否定語。
最近、またこれもよく言われるようになった「凡人などと言ってくれるな、そろそろ自覚を持ってください」という言葉。
この時も先生方からそう言われた。そしてお渡しした当時の私のライフコーチという横文字の名刺を見て首をかしげてこれは違和感!と。
そして、名刺を自分のフルネームで作り変えるようにとのご指示。
あなたには何の飾りもいらない。
名前だけの名刺で良い。でも、それでは何をしている人かわからないというなら、とチューニングしてから「神繋ぎ」という必然的にハードルが上がってしまう職業名をつけてくださった💦💦
気が引けるぅー😵💫(でもお渡しした人がこれ以外にないですねと言ってくださるので良かった😆)
自覚どころか恐縮しきりの私に後日、恩師はおおげさフルネーム入り題名のビデオレターを送ってくださった。ありがたいやら…🙈
内容は一見、難しい話のようでいて気づくと深く頷きながら見ているという魂の納得感。
魂レベルでは深淵なる世界を私たちはすでに知っていることをわかりやすく文字と言葉を通して解説してくれてくださっていた。
私のために私が尊敬している方々が動いてくださる奇跡のようなありがたさを最近ひしひしと噛みしめている。
目に見えない力を感じとれる方々が目に見えない力の一端を担い、その肉体を通して行動を起こす。
これが真の「お働き」というものだと思う。
人間関係もお金もこの世の現れのすべてはエネルギー循環。
実際に運んでくるのは「人」
良いと思ったものを人に広め、耳目に触れた人が影響され、実際にその人の人生の一助になればそれはまた間接的に大きな光を生む。
そうやって物事はすべて循環し、大きな光の輪となって世界を巡っていくのだとということが実感を伴い理解できるようになった🌈
私も私を通過点に光の存在が増えて、大きな光の輪の循環を進めていける一助となりたい🌟
ちなみに「謙虚である」というのは本来は「神にすべてを明け渡し、委ねること」だ。
ヒンドゥー教の聖典バガヴァット・ギーターには
「人間は自由になるために創造されたのであって執着するためではないと知覚し、スピリチュアルな道に自らを明け渡せば謙虚さは目覚める」という意味のことが書いてある。
よくセッションでも「私なんかとても…」という人がいる。
ある日、神様は言った。「それは神に対して失礼なこと」と。
「あなたたちは神の元から来て神の元へ還る存在。神の分霊(わけみたま)なのだから神そのものなのです。」と。
できない、自分には力がない、能力がないと思っているのは育った環境で後天的に身についた意識のヴェール。
魂を覆ってしまっているこの思い込みや勘違いのヴェールを剥いで本来の輝きが戻ったらそこには「私なんて」と萎縮する自分など一切おらず、現実社会を見えない力との共同創造で切り開いていく委ねきった自然の状態で力強い魂だけが輝くはず✨
「私なんか」という自慢!!
という言葉も最近、聞いた😁
「私なんかねー」と言って自分のできなさ、至らなさを言い放っているうちにそれが「私はあなたよりもっとできないという自慢」になるのだそうだ😂
病気自慢、お金がない自慢、うまくいかない自慢🔂
自分よりもっと大変な人がいるという安心感は行動できないこと、しない選択をすることへの正当性を生み、
同じ波動の仲間の中にいる安心感を生む。
だって、みんなもしないから。
だって、みんなそんなもんでしょう?という横並びへの言い訳。
日本人が弱い言葉は「みんなやってますよ!」という言葉だという😁
私なんか自慢は、私なんかしょーもない人間です。だからあなたは頑張って!という他者への励ましなのかもしれない!?
でも、それが積もり積もった結果、自分で自分を貶めたツケは必ず回ってきて本当に何もできない自分が残るはずだ。
これからの時代はマジョリティでいることは発展を生まない。
マイノリティでいることは魂を輝かせ、新たな視点を他者に与え、自分自身への強さと信頼を生む。
マイノリティでいることは強さを必要とされるが、時代がそれを後押しする流れとなってきた💫✨
堂々と自分の魂の輝きを全面に出していこう。
世界80億人の中にあなたというひとはたった一人しかいないのだから。
そのためには本当に日々、視点をどこに向け、どのように保つかは大切なのである。



















