昨年11月22日に約3年ぶりでヒマラヤ密教ヨガの恩師に再会した。
先生方は私を見るなり満足そうに何度も頷かれてとても褒めてくださった。
いろんな方から「あなたは本物」とというお言葉をいただくことは多いのだけど私自身はあまり自覚がないため謙遜してしまい、つい否定してしまいがち。
その時も「いえいえ、私なんぞは凡人です。」と恐縮。
そう言ってくださる方々は私という表面の肉体の人間ではなく私の神性の部分に共感してありがたい言葉をかけてくださっているのだと知っていてもついつい、口から出る謙譲と否定語。
最近、またこれもよく言われるようになった「凡人などと言ってくれるな、そろそろ自覚を持ってください」という言葉。
この時も先生方からそう言われた。そしてお渡しした当時の私の横文字の名刺を見て首をかしげてこれは違和感!と。
そして、名刺を自分のフルネームで作り変えるようにとのご指示。そして「神繋ぎ」という必然的にハードルが上がってしまうすごい職業名をつけてくださった💦💦気が引けるぅー😵💫(でもお渡しした人がこれ以外にないですねと言ってくださるので良かった😆)
自覚どころか恐縮しきりの私に後日、恩師は「砂金 三千代の真実・真実の砂金 三千代」なるおおげさフルネーム入り題名のビデオレターを送ってくださった。ありがたいやら…🙈(しかも、YouTubeに公開されている😂)
内容は一見、私が知らない難しい話のようでいて気づくと深く頷きながら見ているという魂の納得感。
魂レベルでは深淵なる世界を私たちはすでに知っていることをわかりやすく文字と言葉を通して解説してくれてくださっていた。
私のために私が尊敬している方々が動いてくださる奇跡のようなありがたさを最近ひしひしと噛みしめている。
目に見えない力を感じとれる方々が目に見えない力の一端を担い、その肉体を通して行動を起こす。
これが真のお働きというものだと思う。
人間関係もお金もこの世の現れのすべてはエネルギー循環。
実際に運んでくるのは「人」
良いと思ったものを人に広め、耳目に触れた人に影響し、実際にその人の人生の一助になればそれはまた間接的に大きな光を生む。
そうやって物事はすべて循環し、大きな光の輪となって世界を巡っていくのだとという理解を実感できる今日このごろ🌈
私も私を通過点に光の存在が増えて、大きな光の輪の循環を進めていける一助となりたい🌟
ちなみに謙虚であるというのは本来は「神にすべてを委ねること」だそうだ。
ヒンドゥー教の聖典バガヴァット・ギーターには
「人間は自由になるために創造されたのであって執着するためではないと知覚し、スピリチュアルな道に自らを明け渡せば謙虚さは目覚める」という意味のことが書いてある。
よくセッションでも「私なんかとても…」という人がいる。
ある日、神様は言った。「それは神に対して失礼なこと」と。
「あなたたちは神の元から来て神の元へ還る存在。神の分霊(わけみたま)なのだから神そのものなのです。」と。
できない、自分には力がない、能力がないと思っているのは育った環境で身についてしまった意識のヴェール。
魂を覆ってしまっているこの思い込みや勘違いのヴェールを剥いで本来の輝きが戻ったらそこには「私なんて」と萎縮する自分など一切おらず、現実社会を見えない力との共同創造で切り開いていく委ねた自然の状態の力強い元気な魂だけが輝くはず✨