知らない場所に行ったとき、気さくに声をかけてくれる人
困ったなと思ったときにサッと助けてくれる人
そういう人がいたら救われるし心から嬉しいし、ステキだなぁ🩷と思いますよね。
人は人と助け合って生きている。
そう感じる場面は日常でもたくさんあります。
何気なくそれができる人は自然と身についている人で「感謝を求めてやっているわけではない」ということは非常に重要だと思うのです。
特技というのはその人が何気なくできること
つまり、身についている特性です。
過去生も含めて私たちはたくさんの経験をしています。自分の背後にある引き出しにはこれまでの経験がたくさんしまわれています。
その中から今生に必要な情報を引き出してフル活用して生きています。
親切心というのも元々誰もが持っている性質ですが自分に蓋をして他人のために!と思って行うことではないのです。
自己犠牲で自分のことは我慢してまずは人様のために!ということを日本では長く良き習性として教えてきた側面があります。
これはボランティアの精神にもよく現れると言います。
欧米ではボランティアを行う人がまず心身ともに満たされ健康じゃないと他人を助けることはできない!という前提に立っているそうです。
一方、日本では滅私奉公に美談を求める傾向があるのではないでしょうか?
「食べるものも食べずによく働いてくれた」「一睡もせずに夜通し救助に当たってくれた」
これは涙ものの尊い美談です!!という擦り込みにより、そういうふうに育てられた私たちは「感謝」が湧きます。
が、欧米ではこれは美談でもなんでもなく自己管理や管理体制の甘さによる失敗だとみなされるでしょう。
日本人の柔軟性のあるほんわりとした優しさはもちろん美徳だと思います🌸
でも、自分が心身ともに十分に満たされていてエネルギー満タンで働いた方が何倍ものパワーが出るでしょう。
わかりやすいコップの例えがあります。
自分のコップが半分しか入っていないのに他者の空っぽのコップに注ごうとする人
自分のコップを満タンに満たしてから他者のコップに注ぐ人
どちらが多く注げるでしょうか?
さらに後者は注がれた半分の他者のコップを満タンにまで引き上げる方法も知っている人です。
前者を選ぶ人が多くいます。
自分のコップに半分しかない状態で他者に注ごうとすると自分も他者も半分以下の水になってしまいます。
そして、満たす方法がわからない少ない量の人同士であぁでもないこうでもないと不足を言い合うネガティブなエネルギー循環が生まれます。
「どうせ少ないよねー少ない中でも励まして頑張っていこうね」という連帯は果たして自分を満たすことにつながるのか??
ネガティブな感情による人の結束は非常に強いものがあります。
自分を満たす方向に切り替えようとする人を非難せずに自分たちもそちら側に行こうと思うか?
そこがまた素直さと謙虚さの表れにつながっていきます。
何かをすることで人から感謝されることはとても嬉しいことです。
行為をしたことで褒められることも同様に嬉しいことです。
ただその喜びをまた味わいたい!が強くなってくるといつの間にか人に評価されるための行為にすり替わる場合があります。
喜んでもらえるのが嬉しい!とよくいう人がいます。
もちろんそれがモチベーションになりたくさんのアイディアや改善が生まれ生きがいにつながっているのなら言うことなしです。
でも、そんな優しい人だからこそ、自分の心の中を常に点検する習慣が必要だと思います。
寄り添うことは良いことですが無理をしていないか、疲れていないか、自分がないがしろになっていないか、自分はどうしているのが心地よいのか、何をしている時が満たされるのか…
気持ちの整理がついていない人は住環境が荒れると言います。
結果的に道に迷ったり、遠回りすることが多い、目的達成が難しいなどの現象になって現れます。
周りに気を遣う優しい人はともすると自分の生活、自分の人生が置いてきぼりになることがあります。
置いてきぼりになり他者からの評価を優先させているうちに「私がいないとこの人はダメ!」と思い始めたら危険信号だと思います。
いないとダメにしてしまったのはあなたにも原因があるはずです。
「いないとダメ」な関係はズブズブの相互依存を引き起こし低迷のスパイラルに陥りがちです。
優しい人はその優しさをまず自分に向けて自分のコップを満タンにしていなければなりません。