2月9日はふたたび1人になった。
宮古島内はもちろん、宮古島から行ける島は多良間島以外はすべて行った。
前日、島の駅みやこという道の駅のような産直で神様から本のコーナーに連れて行かれた。
そして、数冊の本を見せられた。当然、時間がないのでちょっとだけの立ち読み。
すると写メを撮って後日ちゃんと読むようにと指示された。
仙台に帰ったら図書館で借りようと思ったいたが今日がチャンスではないか!?
と思い直し、宮古島の図書館に行ってみた。
するとそれは予知夢であった!!!!(SNSでも書いちゃった)
数日前に友達と通りかかった巨大な建物を「すごいねー税務署だってよ!」と言っていたところが図書館でもあり。
数ヶ月前、私は夢でとってもキレイで近代的な広い本屋さんにいる夢を見ていた。
剥き出しのコンクリートの壁や天井などと窓が大きくて明るい室内がとてもマッチしていて気持ちも良い空間だった。
そして、この宮古島市未来創造センターというところがまったく夢とすっかり同じ空間であった。
また役に立たない予知をしてしまった私😅
たまにこういうのがないと感覚が鈍るから天からのトレーニングなのかな?😆
郷土資料コーナーは半地下のような居心地よい空間。
早速、気になっていた本を読む。
琉球風水の家相の本、神がかりしてからユタとしての道を開くまでの本、実際にユタとして活躍している方の本など。
その中の一つには沖縄のユタさんたちが道を開くまでの過酷な道のりと困難、そしてさまざまな人と神との出会いなどが書いてあった。
なぜそれほどまでに過酷な経験をしなければならないかについて、さまざまな経験を通して人の役に立てる霊能力としっかりぶれない軸を身につけないとユタとして人の役に立てる道は開かないからだと書いてあった。
また、石庭を作った新城定吉さんの本もあった。
ここで私が愛してやまない宮古島と昨年、行ったフィジー、3年前に学び昨年末に恩師と再会を果たしたヒマラヤ密教のヒマラヤが巨人説でつながる。サンゴが隆起してできた大地という共通点もある。
知らず知らずに導かれ行ったり、やったりしていることが後からどんどんつながっていく。
尊敬する離島のオジィに電話で報告した。
「それにしてもなんで私たちは毎回毎回、記憶を消して生まれてきて中年を過ぎてから急に探求がどんどん繋がって納得した頃に死を迎えるのではなんのためにこんなことになっているんでしょうね?」と言うと彼は「それすらもすべて後からわかることです。降りてくるメッセージに従って動いているうちに繋がって、今世だけじゃなく来世にも生かされると考えています。」と深いお答えだった。
こうやって私の預かり知らぬところで(魂は知っている)私の道開けは進められていくんだなぁと思う。
沖縄本島のユタ友ちゃんが今回「いさちゃんの道を本格的に開けなきゃいけない!本気で道開きなさい」と連発していたことを思い出した。
🌴✨🌴✨石庭再訪🌴✨🌴✨
2日後の2月11日、宮古島を離れる前にやっぱりもう一度行っておきたいと思った石庭を再訪。
あの女性にもう一度会いたかったのだ。
そして、また珊瑚の化石ヒーリングを受けた🪸
今度は私は深く青い海の底にいた。
そして、私は魚のように自由自在に泳げていた😆
それが当たり前であるかのように自由にすごいスピードで泳いでいるのだ。
クロールなどではなく体が魚であるかのようになんにも考えずに。
私は私の姿を見たいと思った。すると今の私よりずーっと痩せている女性の私が見えた。細部までよく見なかったけど人魚!?🧜♀️
場面は変わり、今度はまた違う時代?と舞台?で私は民族衣装のようなものを身につけていた。
白地というかきなりの白地の着物に金色または黄土色のような糸で肩から胸にかけて刺繍が入っている。
その模様と同じ刺繍が入った幅の広い鉢巻のようなものを巻いて髪の毛は解いている。
髪の毛は真っ黒ではなかったと思う。やっぱり現在の私よりずっと痩せていて華奢で美しい!?😆
その人は私に向かって言った「がんばってね」と。
その後、石庭を作った新城さんのメッセージが降りてきた。
「ウポポイはここからエスキモーまですべて繋がっている。
あなたが経験したこと、繋がったことを人に伝えなさい。」と。
終了後に施術をしてくれた女性に報告すると「先日、ヒーリングが終わった後に見違えるようにスッキリしてむくみが全部取れたでしょ?だからあなたが今見た痩せている姿こそが本来の姿だと思いますよ。」とおっしゃった。
イタリアのオペラ歌手 マリアカラスが突如、ベールを脱いだように痩せて美しくなり世界の歌姫になったことを思い出した😅
私もそうなるのか?🦋期待大😍
それから「新城先生からのメッセージは大切にするように」と言ってくださった。
彼女は気功や気について新城先生から学んだお弟子さんだという。
それにしてもウポポイってこれまた昨年7月に行った北海道のアイヌ民族資料館の名前だよね?意味は?と調べると「大勢で歌うという意味」らしい。
そこで来間島での今年の会話を思い出した「大勢の女性がここで歌っているのが視える」と私は言っていたのだ。
神事も歌、生活の中でも歌は身近であったと思う。歌には言霊が込められていたはず。
アイヌと沖縄の人は顔も言葉も文化もそして歌もとても似ているということを30代の初め、足しげく北海道通いをしていた頃にアイヌ資料館で目にしていた。
こうやってまた繋がっていくのだ。
意味は知らなくていい。
月読命が私に繰り返し言っていた言葉「自ら知ろうとしなくて良い。学ぶべき時に学び、知るべき時に知るのだから。」