前回までのお話 ①
2019年 首里城炎上を予知した私は京都で古神道を研究する方々とのご縁ができました。
そして、翌2020年3月から、きっかり1年間、関西でその方面の方々とお会いする機会を持ちました。
2ヶ月ごとに関西に出向き、その1年で私の神道への興味、知識は格段に増え、関西近辺の神社に参拝し、本当にめまぐるしくさまざまなご神縁、人縁を結ぶことができました。
その期間に、過去世を知ることできごとが多々ありました。
6/11の夜、夢に琉球の衣装を着た20代のキリッとした青年が現れ、「琉球城からきた」とキッパリ宣言。「琉球城?」と聞く私に彼は地図を出し、「ここです。ここからきました。」と地図の右のほうを指したのです。
彼の衣装は一見シンプル。藍色で赤とクリーム色の刺繍があり、ステキだったとノートに記録してあります(わりと記録魔の私(笑))
気になった私は目覚めてすぐにスマホで「琉球城」と検索しました。
するとまっさきに彼が夢で見せたのとすっかり同じ地図が表示されたのです。首里城公園の地図でした。
彼の指さしたところは金蔵、寝廟殿のあたり。すごい夢だなと思い、当時ご縁のあった審神者の方に報告。するとその方はあなたに今、現れている金龍は琉球の金龍で、その青年は琉球王のようです。どの王なのかは自分で尋ねなさい。」と。(関連記事 私と龍神さま🐉① )
私は夢に出てきた青年を思い出しました。一見、シンプルな着物でしたが刺繍があり、賢そうな品のよい青年でした。
そして、その青年を思い浮かべながらあなたは王様なの?誰?と聞くとハッキリと「七代 尚寧」という声が聞こえました。
聞き間違いのしようがないほどに夢と同じ口調でハッキリ名乗ったのです。
調べると尚寧王は本当に第二尚氏の七代目の王様でした。
浦添出身で王族の墓、玉御殿には入らず生前から浦添に自分の墓を建設し、王様ではただ一人、浦添に埋葬されていることを知りました。
そして、その日、ポストに知り合いから転勤挨拶が届き、沖縄県浦添市に引っ越したとのこと。これは本当に尚寧王なのかもしれない。
在位期間も私が聞得大君として生きたと思われる年代と重なっていたのです。
その月のうちにまた関西の行事に参加しました。飛行機の関係で遅れて行くと、今度は先にいた方々が「あのう、○○さんて方、ご存知ですか?」と聞くのです。即座に「えっ?沖縄戦の○○さんですか?」と自分でも不思議なくらいスムーズに聞き返す私(自分に驚く)「やっぱり知ってはるんやぁ」とざわめく人々。そして、「その○○さんがあなたが来るのを早くから待っているそうで、審神者の方から来たら聞いてみるように言われていました」と。行事が始まるずっと前から軍服にサーベルをさした格好でお待ちになっていたとか。審神者の方が名前を聞くと名乗り、その場にいた人に知っている人はいないか聞くも誰もおらず。戦争=私と思って来たら聞くように言っていたのだとか。そんな話をしているそばに彼の姿が見えました。私は彼が大好きだったのです。幽霊なのに怖いどころか嬉しくてたまりませんでした。
そして、彼が私に告げたのは首里城に行ってください。あなたは今、沖縄がキライかもしれないが、部下や県民の犠牲がたくさんある。まだ南部に足を向けるのは難しくても、いつか必ず回ってください。
まずは首里城へ。あそこにもたくさんの遺体がある。その上を戦争を忘れた観光客が歩いていると。行くだけで良い。いずれは沖縄全土を歩いてくださいと。
絶対に南部には二度と行きたくないと、今世は行ったことがないのに頑なに思っていた私の心が大好きな上官との再会で行ってみようという気持ちに傾き始めたのを覚えています。
その翌日から伊勢神宮に向かった私のレンタカーの後部座席に彼が何度か座っていました。軍服をきて姿勢正しく。戦後70数年ぶりに一緒にドライブです。その日は彼の、そして後から知る私の命日でもありました。
その時の私は自分が誰だったのかは知らなかったのです。