存在を差し出す
行為を差し出す
つまり委ねる
とはどういうことか?
プロジェクトXで薬師寺東塔の完全解体と修復に携わった仏師たちの物語を見た。
薬師寺は高校の修学旅行で訪れた思い出の地。
なぜ思い出深いのかというと我々修学旅行生たちが東塔の高さ、寺院の広さに圧倒されていたときにお坊さんの一行が通りかかった。
その中の一番忙しそうなお一人が近づいてきて私たちに手を合わせるとはどういうことか?
「手のシワとシワを合わせてシアワセやんか!!なぁー」とはじける笑顔で教えてくださった。
私は一瞬でこの僧侶に心を奪われて釘づけになった。この人のそばにいたい!!と衝動的に思うほどの熱い思いに駆られた。
するとそれが通じたのか優しい笑顔で彼は私にいろいろと話しかけてくださった。
神道の家系に育ったのでお坊さんと接する機会が私にはほとんどなかった。
でも、その時からあぁーいいなぁーお坊さんってステキ💓とお坊さん好きになり、坊主頭の男性が大好きになってしまった迷走のきっかけにもなった😅(初恋は阿修羅像❤️仏教と奈良に縁あり😆)
それは置いといて、その時のお坊さんの笑顔と佇まい、空気感と香りが今も一瞬にして鮮やかに蘇るほど私の心から離れない。
のちに彼が偉大な高田好胤禅師だったと知ったのだがその頃にはすでに天界の人になられていた🙏
でもあの日、高田好胤禅師に出会ったことは私の一生の大切な財産だ💎✨
さて、プロジェクトXの薬師寺再建の話であるが古寺復興というのは創建時の古材をそのまま生かして修復するのだという。
鬼の棟梁と言われた伝説の仏師の元、「創建時の工人の心で取り組め」と世代を受け継いで再建していく中で伝説の棟梁の後を引き継いだ仏師はある古材を見て驚いたという。
いにしえの工人の彫り跡に一切のためらいがなかったのだ。本来なら少しずつ慎重に何度も刃を当てて作業する部分なのにどれも一回で削り取っていたのだ。
それまでは先代の棟梁から言われていた「創建当時の工人の心」というのが難しく理解ができなかったのだそうだ。そして、自分は良いところを見せよう、良い仕事ができたというのが後世の人にわかる仕事をしようと思って取り組んでいたのだそうだ。
そんな中、自分を支えてくれていた奥さんが末期癌になり、治療に苦しんでいてもなすすべもなくただ見守ることしかできない状況で、昔の人はより医療の助けもなく家族や親しい人の病や苦しみをただ見守るしかなかった。1300年にわたり薬師如来に多くの人々が祈りすがっていたのだと気づいた。
そもそも薬師寺は天武天皇が妻の病気平癒を祈願して建立した寺だ。
当時の工人もまた、人の力ではどうすることもできない物事に対し人智を超えた神仏への「祈り」を込めて仕事をしていたのだと気づき創建時の工人たちの心が初めてわかったのだと。
それからは人に良く思われたいという仕事へのエゴは一切なくなり、いにしえの工人たちの心や迷いのない刃の跡にも理解ができたそうだ。
あのままエゴを持って仕事をしていたら後世に残す納得の仕事ができなかったと。奥さんの病気と死は自分にこの気づきを与えるためのものだったのではないか?と彼は言っていた。
ヒンズー教にはダルマという言葉がある。
そもそも人は神の分御霊(わけみたま)であってこの呼吸も鼓動も一挙手一投足すべて自分が行っているのではなく「神」が「私」を通してこの世のすべてを体験していらっしゃるのだという。
仕事=使命=天命 というのも自分がするのではなく我が身を通して神がなさることだと思えば、他者の評価や結果を思いやることなく「今」に専念して集中することができるのだ。
それが日常の一瞬一瞬まで充満した時、はじめて「委ねる」ということになる。
思考に邪魔されずに自分はただひたすら自己をクリアにすることに専念し、「神が働きやすい」自分を創る。
そこが霊性・神性の目覚めであり、生きていく中心軸になる。
高田好胤禅師 https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250133_00000
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