1年かかって長い長い『オスマン帝国外伝』をやっと見終わった。
このドラマはとにかく長かった。
でも、とても深かった。
見始めた時には想像もしていなかったが、その間に2回もトルコに行った😆
(🇹🇷トルコのブログは下↓↓↓)
人生とは、愛とは、赦しとは、
人生で追い求めるべきものとは?
栄華や権力を手に入れることとは?
喜び、悲しみ、怒り、悔恨、一生消えぬ罪悪感との戦い
そして、誰にも等しく訪れる死、逃れることができない運命
トルコ語の美しい抒情詩やセリフ、聖人たちの遺した珠玉の言葉と共にトプカプ宮殿内の美しい装飾や豪華な衣装、トルコ各地の雄大な自然や文化などが随所に盛り込まれていて国の威信をかけたようなドラマだった。
女優さんたちの美しさにも目を奪われる。
次々と登場人物が現れては消えていき、「人生は舞台だ」という言葉を思い出す。
そして、史実に基づいた壮大な物語を通して、やはり「善悪」というものは本来、存在しないのだと思った。
善悪の判断は人間が決めている、いわゆるジャッジであり、神の視点で見ればすべてのできごとが完璧なタイミングで起きていて、一人一人の人生や思惑が織りなして彩られていく壮大な物語であり、でも決定権は神にあるというドラマチックな運命が描かれている。
王や数々の聖人たちの言葉などでそのことが語られていく。
主人公の第10代スルタンであるスレイマンはムヒッビーという名の詩人でもあり、彼が遺した言葉は多い。
私たちは物語や映画などを通して、結局はどの時代のどんな立場の人でも、それぞれが懸命にその生を生きたのだということを改めて知る。
神の視点から見れば、人間の一生なんて本当に瞬きの間の儚いものだろう。
(人の夢と書いて”はかない”だ)
そんな短い一生の中で悔しい思いをしたり、絶望したり、歓喜したり、さまざまな経験を通してさまざまな感情を味わっていく。
今、日本に生きているほとんどの人には生きるうえで自由に選べる選択肢がある。
時代によって、出自によって将来が狭められたり、君主の采配によって自分の生死が決められたりすることもない。
私たちが過去の歴史の物語を目にする時には時代に翻弄されながらも懸命に生きた人々の思いを通して、では今の時代に恵まれた国に生きる者としてどう生きるか?考えていく必要があると思う。
それは先祖供養にもつながる。
セッションの中でたびたび話しているが、私たちの背後にはおびただしい数のご先祖さまがいる。
私たちはその最先端を生きているのだ。
彼らの成し得なかった夢や思いを背負って生きているのだ。
私たちは神様からもご先祖さまからも期待されている期待の星なのである⭐️
ではこのほんの短い一生をどう生きていくのか?
オスマン帝国外伝では多くの人が不本意にも処刑される。
王族ともなると斬首ではなく縄で首を絞められて苦しんだ上に殺される。
裏切り、絶望の末に人生を終える。その無念たるや想像を絶する。
そして、その思念は魂の傷となって残り、次の生に持ち越すのではないだろうか?
自分自身を含め、セッションをしていると過去生の影響というものを感じざるを得ないことがある。
(関連;過去世を知ったら脱皮 、私と琉球ものがたり① )
輪廻転生は魂(霊性)の成長を目指すとともに、過去の魂の傷を癒す旅でもある。
過去生の傷を癒やしながらも、新しい生でなすべき課題や成長を模索して束の間の人生を誰もが精一杯、生きていく。
「考えてみれば人生は一方通行の一回きり。
しかも、リハーサルなしのぶっつけ本番」
ていう言葉がタイムリーにオンラインドラマの広告で流れてきた。
まさにそうだ。
先行きのわからない一方通行の道を模索しながら進み、決して後戻りできないのが人生だ。
やり直しはきくと言ってもその分、命の残り時間は確実に少なくなっているのだ。
生きることに困らない国に生まれ、選択できる自由に恵まれているのなら「できない・やらない」言い訳に時間を割いている場合ではない。
自分というかけがえのない「かわいい子供に」たくさんの喜びを味わわせてあげればいい。
そして、喜びにあふれて「気力(エネルギー)」が充実している人は他者にも分け与えることができる。
そんな人の周りには人が集まり、幸せが波及していくのである。
トルコシリーズ🇹🇷
布石いっぱい用意周到の旅 トルコ🇹🇷①(①から⑦まで)
セカンド トルコ①🇹🇷イスタンブール🕌(①から⑦まで)