御嶽(ウタキ)を訪れて沖縄の神々と縁を結ぶにあたり、城(グスク)巡りをしなさいとコロナの緊急事態宣言のまっ最中に司令が降りました。
グスクには御嶽が必ずある!という理由です。
えぇーっこんな時期に?沖縄へ?ひんしゅくものです!と逆らってみたものの、やはり行かされる私。
案ずることなかれ!電車も飛行機もスッカスカ。おまけに今回の司令はグスクめぐりなのですからほぼ屋外活動!
人に会うこともありません。ただでさえ広いグスクに緊急事態宣言下ということもあって人っこひとりいやしません。
神はやはり全てお見通しなのでした笑
行く前から不思議なことがありました。「ゴエク、ゴエク」という言葉が何度も聞こえるのです。なに?ゴエクって?
神に聞いてもお返事はありません。宿泊先は沖縄市になりました。(結果、グスクめぐりに最適だった)
そして、初日、グスクの代表格 首里城からホテルへ向かったところ、曲がり角を間違えて引き返すところに「越来交番」という交番が!
えっ?これなんて読むの?
神「ゴエクです!」
マジでー?ゴエクって越来って書くの?すご〜い!わざわざここに泊まらせるのねーと驚愕。
そして、この度はまさに「越来」がキーワードになる旅だったのでした。
翌日から護佐丸が築いた中城城、座喜味城(日本兵、アメリカ兵、ノロのお婆さんなど時代が錯綜していろんな人が出てきて勢揃い)
御嶽の神様から「お帰りなさい」とお声をかけていただいた今帰仁城、阿麻和利が築いた勝連城、夫がなぜか行きたいと言い張った具志川城、
呼ばれて立ち寄った具志頭城(グシチャングスク)、強烈に呼ばれるけれど入れない豊見城、知念城跡など…
グスク巡りは過酷なもので、毎朝6:30出発、帰りは大体19:00くらいというフルタイム勤務。(まさにお勤め!)
おまけにグスクというのは城ですから広大な敷地、廓(くるわ)に向かって坂道や石段もりだくさん。疲労困憊。
そんな中、グスクの解説を読むと琉球の歴史と私への神託などが次々と点と点が線になっていく感じで繋がっていくのです。
また、多くのグスクは太平洋戦争時には激戦地となっており、グスク巡りはそのまま慰霊の旅にもなっていたのです。
知り合いの男性ユタさんが言った「あなたはわざわざ慰霊をしなくてもいい。沖縄に足を運ぶだけで多くの御霊が上がります。」といった言葉の意味がわかった旅となりました。
そんな中、美しい勝連城の城主 阿麻和利は元の名は「越来王子」、越来出身。
そして、その妻となった絶世の美女でありノロの原型と言われている百度踏揚(ももとふみあがり)のことがものすごく気になってお墓参りに行くことにしました。
すると彼女の父、尚泰久王も越来の出身だったのです。
知念冨里というところにひっそりと百度踏揚のお墓はありました。(尚泰久王のお墓も近くにある)
暑い最中なのにそこはひんやりとしていて小高い場所にあり気持ちいいのです。
夫はこんなところを気持ち良いという人はいないと私を置いて買い物へ。
ここでもたくさんの蝶々がどこからともなくやってきて、蝶々と私と踏揚さまで静かで豊かな時間を過ごすことができました。
沖縄の歴史を知ってほしい。この地が歩んできた「破壊と再生の歴史をちゃんと見てほしい」というメッセージを受け取ったようでした。
以前、アマミキヨさまも同じように「進化には破壊と再生がつきものです。」とおっしゃっていたのです。
破壊は一見、悲惨な出来事だが進化には欠かせないもので、そこには大きな気づきとエネルギがー生まれると。
私が時代を変えて生まれ変わり、何度もこの地を踏むことの意味を知らされた思いがしました。
そして、その時に神様から明確な住所と共に「沖縄に住みなさい。」という司令が降ってびっくり仰天しました。
いまだにそれは実現されていませんが、訪れるスパンがものすごく短くなっています。2023年現在、2、3か月おきになっており、今や離島もくまなく行かされています。
緊急事態宣言下でお店がどこもクローズしている沖縄県内で、スーパーも19時で営業を終える中、大好きなイオンライカムでお惣菜と泡盛などを買ってホテルで食べる日々。これはこれで楽しい思い出となったのでした。
そして、ここから本格的に私の沖縄の神々と土地とのご縁がしっかりと結ばれたように感じたのです。